易塚~易史跡あれこれ~
- 2014/03/22
- 21:54
易塚(岡山県吉備津)
易塚は、1922年、神儒仏に老荘を加味した宗教「福田海」の開祖である多田通幽(1862~1936)が、国家安泰易道隆興を祈願して、吉備真備ゆかりの地に建立せられた八角形の石壇である。
通幽は我が国墓相学の元祖的存在で、系譜としては多田通幽(1862~1936)→松崎整道(1865~1948)→竹谷聰進(1904~1963)となる。
六十四の石柱には、序卦の順序でそれぞれの卦が刻印されており、壇の中には易経中の文字を写経した清浄な石が収められている(その数なんと一億数千万という!)。
易塚入口の石柱
迫力満点!
福田海の中枢施設「中堂」
周囲の石塔は、行基の説く弥勒四十九ヶ院浄土説法にもとづくものという。
中堂の天井にもイカした八卦が!
鼻ぐり塚
福田海は易塚よりも、この鼻ぐり塚で有名である。
全国から供養のために集められた牛の鼻輪の山は、見る者をただ圧倒するが、「ウルトラマンA(エース)」に、この鼻ぐり塚の鼻輪を盗んだ男が牛の呪いで牛怪獣になる回があり、ウルトラマン愛好家にも有名な場所らしい。
塚のある福田海本部は、吉備津神社と吉備津彦神社を結ぶ古道の途中にある。
易塚は四天王寺の易学供養塔を凌駕する異様な存在感を放って迫力満点であるが、訪れる人は非常に少ないようだ。
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