灘高式
- 2022/04/20
- 18:11
蒼流庵易学講座では、例えば一年コースの場合、最初の半年で経文の学習を終え、後の半年で占例検討を中心とした演習を行う予定で居る。
通常は、一年のコースなら一年かけて六十四卦をゆっくり終えるというのがセオリーらしいが、それでは最初のほうに読んだ卦は兎も角、後半に学んだ卦は十分な習熟に至らず終わってしまうことになる。
占術の観点からすれば、揲筮してどの卦が出るかは完全にランダムであるから、何はともあれ六十四卦の全貌が頭に入っていないことには、占おうにも占えないのは当然だろう。
また、相互に関連し合う卦の組み合わせというのも幾つかあり、或いは似たような卦を学ぶことで初めて意味や意義に合点が行くという卦も少なくない。
従って、六十四卦は成るべく早く、たとえ粗さがあったとしても読み終えてしまうのが良いと思う。
私の習った春光苑漢方研修会では、宋板『傷寒論』の六経病篇を一年かけて読むということを繰り返して、最低十年続けなければスタート地点に立てないという風に言っていたけれど、要するに最低十回くらいは読まねば何も判らないということだ。
仮に一年かけて六十四卦を読むとして、乾為天や坤為地なら十回程度読めたとしても、水火既済や火水未済は一二度読んだだけに終わってしまうだろうから、『易経』の理解が中途半端なままに終わることは避けられそうにない。
一頃流行った和田秀樹氏の受験勉強本によると、著者の出身校である灘高では、通常三年かけて修める内容を二年で終えてしまい、最後の三年時は大学受験の対策に丸々費やすらしく、これでは受験に出る内容を終えてすぐに本番に臨む普通の学校とでは合格率に圧倒的な差が出るのは当たり前なのだそうだ。
灘高に限らず進学校というのが一律こんな風であるのかどうか私は知らないけれど、最後の丸一年を受験勉強に費やせるなら、現役生としては相当の余裕を持って本番に臨めるのは想像に難くない。
勿論、本来三年で行うところを二年に短縮するというのは相当無理をしなければならない訳だが、その努力は後の余裕として十二分に返って来ると言える。
従って、蒼流庵易学講座も六十四卦を前半でこなしてしまって、後は演習を繰り返して落とし込み、自在に使えるところまで持って行こうという計画を立てている訳で、謂わば灘高式易学講座なのである。
通常は、一年のコースなら一年かけて六十四卦をゆっくり終えるというのがセオリーらしいが、それでは最初のほうに読んだ卦は兎も角、後半に学んだ卦は十分な習熟に至らず終わってしまうことになる。
占術の観点からすれば、揲筮してどの卦が出るかは完全にランダムであるから、何はともあれ六十四卦の全貌が頭に入っていないことには、占おうにも占えないのは当然だろう。
また、相互に関連し合う卦の組み合わせというのも幾つかあり、或いは似たような卦を学ぶことで初めて意味や意義に合点が行くという卦も少なくない。
従って、六十四卦は成るべく早く、たとえ粗さがあったとしても読み終えてしまうのが良いと思う。
私の習った春光苑漢方研修会では、宋板『傷寒論』の六経病篇を一年かけて読むということを繰り返して、最低十年続けなければスタート地点に立てないという風に言っていたけれど、要するに最低十回くらいは読まねば何も判らないということだ。
仮に一年かけて六十四卦を読むとして、乾為天や坤為地なら十回程度読めたとしても、水火既済や火水未済は一二度読んだだけに終わってしまうだろうから、『易経』の理解が中途半端なままに終わることは避けられそうにない。
一頃流行った和田秀樹氏の受験勉強本によると、著者の出身校である灘高では、通常三年かけて修める内容を二年で終えてしまい、最後の三年時は大学受験の対策に丸々費やすらしく、これでは受験に出る内容を終えてすぐに本番に臨む普通の学校とでは合格率に圧倒的な差が出るのは当たり前なのだそうだ。
灘高に限らず進学校というのが一律こんな風であるのかどうか私は知らないけれど、最後の丸一年を受験勉強に費やせるなら、現役生としては相当の余裕を持って本番に臨めるのは想像に難くない。
勿論、本来三年で行うところを二年に短縮するというのは相当無理をしなければならない訳だが、その努力は後の余裕として十二分に返って来ると言える。
従って、蒼流庵易学講座も六十四卦を前半でこなしてしまって、後は演習を繰り返して落とし込み、自在に使えるところまで持って行こうという計画を立てている訳で、謂わば灘高式易学講座なのである。
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