算木の配置法について
- 2022/04/27
- 19:19
第二回オンライン易学講座では予め撮影した動画を視聴して頂き(PCの前ではスペースの関係からリアルタイムでの配信が難しいと判断したことによる)、様々な筮具や簡易立卦具および其の使用法について御説明を試みたが、普段誰もが何気なく用いている道具類でも其の来歴から説き起こして正確な解説を附すことの出来るのは恐らくは自分位だろうと思う(多くは過去の蒼流庵随想でも記事にしてはいるものの、今回は各種素材などにも話題を拡げてみた)。
記卦法は、漆板に墨書したり地面に画くのが古い遣り方で、続いて卦銭を用いた表記法が唐代辺りに出現し、これが擲銭法の源流になったこと、また今日広く用いられる算木は恐らくは江戸中期以降に筮具の仲間入りを果たした新参者に過ぎず、凡そ“正統な”立卦具とは呼び難いこと等も御説明した。
ただし、今更漆板に墨書することなど薦めるつもりは毛頭無いし、卦銭は不慣れなせいもあるのだろうが、やけに見辛くて一瞥しただけでは何の卦が表出されているのか判り難いところがあり、結局のところ算木を用いるのが定着したことには或る種の必然性があったようにも思われる。
従って今回は市販品の算木(昔ヤフオクで落札した陰爻部分に螺鈿が入っているお気に入り)および蒼流庵随想では御馴染の特製万能算木を見せびらかしたのだが、後日受講者氏より御尋ねがあって、それは「中筮や本筮で算木を使用する場合、本卦側の算木と之卦側の算木とは左右どちらに置くのか」というものであった。
思い立ってyoutubeで検索してみたが、筮策を用いて立卦している動画の殆どが三変筮につき、当然一組の算木しか用いられていない為、世の筮者の配置法を知るのには参考にならず、また私の検索の仕方が悪いだけかもしれないが、数少ない中筮の動画は何故か算木を用いていないものばかりで参考になる動画を見出せなかった。
一つだけニセ高島と思しき(実際の戸籍がどうだか判らぬので一応断定は避けておくことにする)女性占者が算木を並列させて使用している動画を見つけたが、それは占者から見て右側に本卦算木(便宜上このように呼ぶことにする)が、左側に之卦算木が置かれていた。
三変筮にも拘わらず、算木を二組用いているとは誠に殊勝な心掛けという他ない。
また、ホワイトボードや紙に書いて本之卦の関係を説明している動画を覗き見れば、これはもう全てと言って良いくらい、本卦を左に之卦を右に画くようにしているのだが、これは単純に文字を横書きにする際の順序を恐らくは無意識に踏襲しているだけのように思われる。
少々話が逸れてしまうが、文字の排列法は西アジアでは右から左に書き、南アジアでは左から右へ、東アジアでは上から下へ書くというのが伝統である。
世界で最初に右から文字を書く排列法が誕生したのはエジプトで、相前後してバビロニア地方で左からの書き方が生まれているようだが、有名な楔形文字も最初はエジプト同様右から書いていたものが紀元前25世紀頃に左からの書き方が始まり、前18世紀以後は之が決定的になったものという。
これら西アジアを挟む地域、即ちヨーロッパとインドとは西アジアの文字を輸入する際に文字の排列法をも選択して輸入するのだが、此のあと長い年月をかけて文化の伝播や征服が繰り返された結果として、各地の文字は右から書くものと左から書くものとが複雑に交錯するに至った。
左から書くものを挙げれば、スラブ文字やラテン文字、ギリシャ文字、チベット文字、ビルマ文字、タミル文字等々で、左から書くものには、フェニキア文字、アラビア文字、シリア文字、セム文字、ウイグル文字、突厥文字等がある。
と、このように文字の排列について蘊蓄をひけらかせば己が教養を誇ることも出来ようが、タネを明かせば宮崎市定「歴史的地域と文字の排列法」(アジア史研究第二、所収)を其のまま引き写しただけのものであることを正直者の私は白状しておく。
話を戻して、今日我々が横書きで文字を記す際に左から右へ書くのは欧米の表記法をそのまま踏襲したまでのことで、一昔前は本来縦に書く漢字も横に書く必要に迫られた際は右から左へ書くようにしていた。
これは古刹にかかる扁額などを見てみれば、ただちに合点の行くところであろう。
してみると今日本之卦を紙に書いて表記する際に英文と同じようにして左から其のままに並べるのを考えれば、近代以前は日本も中国も恐らくは本卦算木を右に、之卦算木を左に置いて用いたのではないかと思われる。
従って先の女流易者氏は知って知らずか穏当な用い方をしていることになる訳だ。
ところで、仮にそのように算木を配置するのが嘗て一般的だったとしても、文字の排列法に倣ったまでのことであったなら、そこに筮具の用い方としての必然性があるとは言い難いことになるが、それを一旦脇に置くとしても私は本卦算木は矢張り右側に置く方が妥当性があると考えている。
実は超心理学の分野では時間の流れというものは主観的に右から左へという方向性を持っていると考えられているらしい。
若い頃、その方面に強い関心があって瞑想講座などに参加していた時期があるのだが、特殊能力者が透視を行う際、未来のことは視界の左やや上方に見える場合が多いというのである。
また、被験者が未来に関するヴィジョンを見ようとする時には無意識に顔が左の方(実験の観察者から見れば右)を向く傾向があるのだという。
もしも、時間の流れが主観的に右から左へという方向性を持つとしたら、占者が算木を用いる際もそのようにする方が良いということになりはすまいか。
もっとも算木をどちらに置いたところで、卦読みにどれほど影響するかは疑わしく、おつむの具合の方が遥かに影響することは申すまでもないことだろう。
ところで、易の機構は下から上に卦画を積み上げて行く方式であるから、そこを重視すれば算木も左右に置くのではなく、縦に配置するべきであるとする考え方も成り立つが、文字を書く際に下から上へという排列法は古今東西例が無いし、また中筮や本筮のキモが卦の変不変を対照する点にあるところよりすれば、縦配置は甚だ不便で利点らしきものは一つも見い出せないようだ。
記卦法は、漆板に墨書したり地面に画くのが古い遣り方で、続いて卦銭を用いた表記法が唐代辺りに出現し、これが擲銭法の源流になったこと、また今日広く用いられる算木は恐らくは江戸中期以降に筮具の仲間入りを果たした新参者に過ぎず、凡そ“正統な”立卦具とは呼び難いこと等も御説明した。
ただし、今更漆板に墨書することなど薦めるつもりは毛頭無いし、卦銭は不慣れなせいもあるのだろうが、やけに見辛くて一瞥しただけでは何の卦が表出されているのか判り難いところがあり、結局のところ算木を用いるのが定着したことには或る種の必然性があったようにも思われる。
従って今回は市販品の算木(昔ヤフオクで落札した陰爻部分に螺鈿が入っているお気に入り)および蒼流庵随想では御馴染の特製万能算木を見せびらかしたのだが、後日受講者氏より御尋ねがあって、それは「中筮や本筮で算木を使用する場合、本卦側の算木と之卦側の算木とは左右どちらに置くのか」というものであった。
思い立ってyoutubeで検索してみたが、筮策を用いて立卦している動画の殆どが三変筮につき、当然一組の算木しか用いられていない為、世の筮者の配置法を知るのには参考にならず、また私の検索の仕方が悪いだけかもしれないが、数少ない中筮の動画は何故か算木を用いていないものばかりで参考になる動画を見出せなかった。
一つだけニセ高島と思しき(実際の戸籍がどうだか判らぬので一応断定は避けておくことにする)女性占者が算木を並列させて使用している動画を見つけたが、それは占者から見て右側に本卦算木(便宜上このように呼ぶことにする)が、左側に之卦算木が置かれていた。
三変筮にも拘わらず、算木を二組用いているとは誠に殊勝な心掛けという他ない。
また、ホワイトボードや紙に書いて本之卦の関係を説明している動画を覗き見れば、これはもう全てと言って良いくらい、本卦を左に之卦を右に画くようにしているのだが、これは単純に文字を横書きにする際の順序を恐らくは無意識に踏襲しているだけのように思われる。
少々話が逸れてしまうが、文字の排列法は西アジアでは右から左に書き、南アジアでは左から右へ、東アジアでは上から下へ書くというのが伝統である。
世界で最初に右から文字を書く排列法が誕生したのはエジプトで、相前後してバビロニア地方で左からの書き方が生まれているようだが、有名な楔形文字も最初はエジプト同様右から書いていたものが紀元前25世紀頃に左からの書き方が始まり、前18世紀以後は之が決定的になったものという。
これら西アジアを挟む地域、即ちヨーロッパとインドとは西アジアの文字を輸入する際に文字の排列法をも選択して輸入するのだが、此のあと長い年月をかけて文化の伝播や征服が繰り返された結果として、各地の文字は右から書くものと左から書くものとが複雑に交錯するに至った。
左から書くものを挙げれば、スラブ文字やラテン文字、ギリシャ文字、チベット文字、ビルマ文字、タミル文字等々で、左から書くものには、フェニキア文字、アラビア文字、シリア文字、セム文字、ウイグル文字、突厥文字等がある。
と、このように文字の排列について蘊蓄をひけらかせば己が教養を誇ることも出来ようが、タネを明かせば宮崎市定「歴史的地域と文字の排列法」(アジア史研究第二、所収)を其のまま引き写しただけのものであることを正直者の私は白状しておく。
話を戻して、今日我々が横書きで文字を記す際に左から右へ書くのは欧米の表記法をそのまま踏襲したまでのことで、一昔前は本来縦に書く漢字も横に書く必要に迫られた際は右から左へ書くようにしていた。
これは古刹にかかる扁額などを見てみれば、ただちに合点の行くところであろう。
してみると今日本之卦を紙に書いて表記する際に英文と同じようにして左から其のままに並べるのを考えれば、近代以前は日本も中国も恐らくは本卦算木を右に、之卦算木を左に置いて用いたのではないかと思われる。
従って先の女流易者氏は知って知らずか穏当な用い方をしていることになる訳だ。
ところで、仮にそのように算木を配置するのが嘗て一般的だったとしても、文字の排列法に倣ったまでのことであったなら、そこに筮具の用い方としての必然性があるとは言い難いことになるが、それを一旦脇に置くとしても私は本卦算木は矢張り右側に置く方が妥当性があると考えている。
実は超心理学の分野では時間の流れというものは主観的に右から左へという方向性を持っていると考えられているらしい。
若い頃、その方面に強い関心があって瞑想講座などに参加していた時期があるのだが、特殊能力者が透視を行う際、未来のことは視界の左やや上方に見える場合が多いというのである。
また、被験者が未来に関するヴィジョンを見ようとする時には無意識に顔が左の方(実験の観察者から見れば右)を向く傾向があるのだという。
もしも、時間の流れが主観的に右から左へという方向性を持つとしたら、占者が算木を用いる際もそのようにする方が良いということになりはすまいか。
もっとも算木をどちらに置いたところで、卦読みにどれほど影響するかは疑わしく、おつむの具合の方が遥かに影響することは申すまでもないことだろう。
ところで、易の機構は下から上に卦画を積み上げて行く方式であるから、そこを重視すれば算木も左右に置くのではなく、縦に配置するべきであるとする考え方も成り立つが、文字を書く際に下から上へという排列法は古今東西例が無いし、また中筮や本筮のキモが卦の変不変を対照する点にあるところよりすれば、縦配置は甚だ不便で利点らしきものは一つも見い出せないようだ。
スポンサーサイト