擲銭法の由来について
- 2022/05/01
- 19:21
年に二度ほど京都の精華町に立つ国会図書館関西館に足を運んで資料を渉猟するのが慣例的なものとなって五年程になろうか。
目的は主に定期刊行の学術誌の閲覧複写である為、大体いつもお決まりの作業に終始し、所要時間も二時間程に過ぎない。
連載物が目的の大部分を占めているが、毎度幾らかは予想して居なかった思わぬ掘り出し物に出遭える。
今回は北大中国哲学会の『中国哲学』(47巻 / 2019.12)に載った、木村清順「擲銭法の由来について」が最大の収穫。
擲銭法の由来については、蒼流庵随想でも何度か論じており、記卦具としての卦銭が立卦具に転用される展開はかつて推察して来た通りであるが、私は専門的に資料を渉猟して考察を試みて来た訳ではない為、本稿に教えられるところも多かった。
幾つか挙げるなら、私は『儀礼』士冠礼の賈公彦疏(唐初)の記述が未だ記卦具としてのそれであるところから、或いは唐代には未だ擲銭法は用いられておらず、唐以降宋以前に登場する立卦法ではないかと漠然と考えていたのだが、この論考を読んで、『太平廣記』(北宋時代に成立した類書)には、中唐期に五明道士なる者が擲銭を用いたことが見えており、唐末の皇甫牧が納甲説と擲銭法が京房に始まると述べていることを教えられた。
つまり唐代には既に擲銭法が行われていた訳である。
また、『火珠林』についても実はこれまでまともに検討したことがなく、京房易の末流くらいの認識しか持って居なかったが、木村論文を読んで京房易の基本的な要素のうち八宮卦説・納甲説・五行説はほぼ踏襲しているものの、十干に五行を配する説や六神説は『火珠林』だけのもので、火珠林オリジナルの要素があることを教えられたのも蒙を啓かれた点であった。
加えて、記卦具としての卦銭の発祥が後漢にまで遡る可能性については飽くまでも著者の推測の域を出ていないとはいえ、私にはここまで遡らせるという発想がそもそも無かったので、優れた論考から受ける刺激が如何に大きいかということを久しぶりに痛感させられている。
著者について気になったので調べてみたのだが、北大の『中国哲学』に『朱子語類』の部分訳や「朱子の占筮法について」(2018.12)、蓬左文庫所蔵『火珠林』の訳注(2020.12)、また他に防衛大学校防衛学研究会の『防衛学研究』に『孫子』関連の論考を多く発表されていることを知った。
どうも御国を守って下さるセルフディフェンスフォースの方であるらしいが、軍事の専門家が易筮の研究も行っているとしたら、足利学校の伝統が今に息づいているような気もして考えただけで亢奮する(そういえば昨秋、大阪で占い師の飲み会があるというので誘われ、占い師でもないのにノコノコ出向いたところ、舞鶴地方隊の隊員氏が高速バスで参加されていたことを思い出した)。
北大とどのような関係を持たれているのかはよく分からないが、或いは出土資料関連の優れた研究者も席を置く北大は現代の足利学校と化しているのであろうか。
スポンサーサイト