ケンコン
- 2022/05/04
- 15:13
木村清順氏の論考「擲銭法の由来について」(47巻 / 2019.12)を拝読して、なるほど擲銭法は少なくとも中唐期には行われていたのかフムフムと感心していたが、調べなおしてみると韓愈の有名な詩「鴻溝を過ぐ(過鴻溝)」において、その証拠が明確に記されているのであった。
この中に、「眞成一擲賭乾坤」(真に一擲を成して乾坤を賭せん)とあって、これが故事成語「乾坤一擲」の出典であるのだが、蓍策を放り投げる筈はないから、ここでぶん投げられているのは矢張り卦銭であるに違いない。
ところで、出たとこ勝負を意味する慣用句「イチカバチカ」は人口に膾炙していて、その認知度は乾坤一擲の比ではないこと、それこそ一擲して占うまでもないと思うが、ネットではサイコロ賭博に由来するとする説が紹介されているものの、私はこれは三変筮の際に御馴染の加一倍法における先天数、1=乾、8=坤つまり、天か地かという両極端を言ったものではないかという気がする。
庵主も一か八かの勝負に出て世田谷区を徘徊し、先日青空レストランで其の余りの美しさを再認識させられた広末涼子ちゃんとの偶然を装った出会いを模索する時期に来ているのでは?と思案中であるが、あまりの透明感に体が透けて背景が見えるというプレデター真っ青の都市伝説を目の当たりにしたら平常心を保っていられるかどうかまるで自信がないし、生来の小心はそもそも世田谷に足を踏み入れることさえ困難にさせる気がせぬでもない。
ここは景気づけに宮城は村田の銘酒でもひっかけて行くべきだろうか。
この中に、「眞成一擲賭乾坤」(真に一擲を成して乾坤を賭せん)とあって、これが故事成語「乾坤一擲」の出典であるのだが、蓍策を放り投げる筈はないから、ここでぶん投げられているのは矢張り卦銭であるに違いない。
ところで、出たとこ勝負を意味する慣用句「イチカバチカ」は人口に膾炙していて、その認知度は乾坤一擲の比ではないこと、それこそ一擲して占うまでもないと思うが、ネットではサイコロ賭博に由来するとする説が紹介されているものの、私はこれは三変筮の際に御馴染の加一倍法における先天数、1=乾、8=坤つまり、天か地かという両極端を言ったものではないかという気がする。
庵主も一か八かの勝負に出て世田谷区を徘徊し、先日青空レストランで其の余りの美しさを再認識させられた広末涼子ちゃんとの偶然を装った出会いを模索する時期に来ているのでは?と思案中であるが、あまりの透明感に体が透けて背景が見えるというプレデター真っ青の都市伝説を目の当たりにしたら平常心を保っていられるかどうかまるで自信がないし、生来の小心はそもそも世田谷に足を踏み入れることさえ困難にさせる気がせぬでもない。
ここは景気づけに宮城は村田の銘酒でもひっかけて行くべきだろうか。
写真はweb上より拝借
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