開元通宝
- 2022/05/11
- 20:20
あれこれケナしておいたから多分受講者の誰も手を出さないとは思うけれど、一応前回の講座では擲銭法についても解説を試みた。
京房やら鬼谷子云々は既に見てきたように馬鹿々々しいけれど、簡易立卦具として最も長い歴史を持つことは事実だから、これを無視する訳にもいくまい。
ただし、あくまでも初学者向けの説明である為、黄小娥式の10円玉立卦に得爻表出用の100円玉を交えた簡便なものである。
10年ぶりにやってみて、ただでさえカチャカチャ五月蠅く厳粛さを欠いた擲銭法に現行通貨を使用するのは余りにダサ過ぎるという判り切ったことを今更ながらに再認識させられたが、擲銭を正統な立卦法とする断易家諸氏なら銭形平次が投げるような方孔円銭を用いるのが普通だろう。
私は何度も書いているように断易にはまるで暗いのだが、康熙通宝や乾隆通宝といった清代の古銭を用いているという人が多いようだ。
しかし、断易は清代に創始されたというものではない訳だから、清朝の通貨を用いる人が多いというのはどういった理由に拠るものだろうか。
既に見て来たように、擲銭法は中唐の頃には盛んに行われていたことが確実であり、起源は更に遡れる可能性もあるが、一先ずは唐代発生説を採るのが穏当のように思うので、清朝の古銭など使うくらいなら武徳四年(621)初鋳の開元通宝を使う方がよりそれらしい様に思う。
実際、江戸時代の易法書にはハッキリと開元通宝を善しとするものもあるようだし、恐らく開元通宝を使って立卦しているという人も結構居るのではないだろうか(馬場信武『初学擲銭抄』は周元通宝が良いとし、易と関りが深い故に周の通宝かと思いきや、周は周でも周元通宝は五代の後周が発行した通貨である)。
開元通宝と言えば、随分前に漢方関連の度量衡の研究に取り組んだ時期があって、沼津のさる古銭研究家の御好意で、ほぼ鋳工当時に近い状態のものを二点頂戴したことがある(度量衡を扱うには通貨の研究が不可欠。『旧唐書』食貨志には開元通宝一枚の重さは2.4銖(約3.7g)、十枚で一両とある)。
ところで、銭形平次の作者である野村胡堂(1882~1963)はクラシック音楽に造詣が深く、その方面の文章を発表をする時は「あらえびす」という変わった筆名を用いているのだが、西洋の古典音楽について手軽に知識を得ることが難しかった時代(吉田秀和登場以前)の教養人はあらえびすを手引きとしてクラシックに親しんだ人が多かったようだ。
京房やら鬼谷子云々は既に見てきたように馬鹿々々しいけれど、簡易立卦具として最も長い歴史を持つことは事実だから、これを無視する訳にもいくまい。
ただし、あくまでも初学者向けの説明である為、黄小娥式の10円玉立卦に得爻表出用の100円玉を交えた簡便なものである。
10年ぶりにやってみて、ただでさえカチャカチャ五月蠅く厳粛さを欠いた擲銭法に現行通貨を使用するのは余りにダサ過ぎるという判り切ったことを今更ながらに再認識させられたが、擲銭を正統な立卦法とする断易家諸氏なら銭形平次が投げるような方孔円銭を用いるのが普通だろう。
私は何度も書いているように断易にはまるで暗いのだが、康熙通宝や乾隆通宝といった清代の古銭を用いているという人が多いようだ。
しかし、断易は清代に創始されたというものではない訳だから、清朝の通貨を用いる人が多いというのはどういった理由に拠るものだろうか。
既に見て来たように、擲銭法は中唐の頃には盛んに行われていたことが確実であり、起源は更に遡れる可能性もあるが、一先ずは唐代発生説を採るのが穏当のように思うので、清朝の古銭など使うくらいなら武徳四年(621)初鋳の開元通宝を使う方がよりそれらしい様に思う。
実際、江戸時代の易法書にはハッキリと開元通宝を善しとするものもあるようだし、恐らく開元通宝を使って立卦しているという人も結構居るのではないだろうか(馬場信武『初学擲銭抄』は周元通宝が良いとし、易と関りが深い故に周の通宝かと思いきや、周は周でも周元通宝は五代の後周が発行した通貨である)。
開元通宝と言えば、随分前に漢方関連の度量衡の研究に取り組んだ時期があって、沼津のさる古銭研究家の御好意で、ほぼ鋳工当時に近い状態のものを二点頂戴したことがある(度量衡を扱うには通貨の研究が不可欠。『旧唐書』食貨志には開元通宝一枚の重さは2.4銖(約3.7g)、十枚で一両とある)。
ところで、銭形平次の作者である野村胡堂(1882~1963)はクラシック音楽に造詣が深く、その方面の文章を発表をする時は「あらえびす」という変わった筆名を用いているのだが、西洋の古典音楽について手軽に知識を得ることが難しかった時代(吉田秀和登場以前)の教養人はあらえびすを手引きとしてクラシックに親しんだ人が多かったようだ。
スポンサーサイト