御神酒徳利
- 2022/05/28
- 23:00
昨晩の第四回蒼流庵易学講座では水雷屯より天水訟に到る四卦を俎上に載せたが、終了後に設けた質疑応答の中で、失物占で蒙卦を得た場合の方位の取り方について生徒さんからお尋ねがあった。
なんでも古典落語に易の蒙卦が登場する演目があって、細かい内容はうろ覚えながら“匪我求童蒙、童蒙求我”の卦辞まで登場するのだという。
白状すれば庵主は生まれて此の方、一度たりとも落語というものを聴いたことがなく、どのような演目があるのかということさえ何一つ知らない体たらくだから、一般論としての失せ物占に於ける蒙卦の観卦法を思いつくままに述べることしか出来なかったが、終了後にメールでyoutubeに出ている六代目三遊亭圓生(1900~1979)の音源を教えて頂いた。
御神酒徳利というタイトルらしい。
何分人生初の落語鑑賞につき、此の演目が落語としてどれ程の水準にあるのかはよく分からず、加えて易の事ばかりが気になって仕舞い、粗筋を今一つ飲み込むことも出来なかったが、いくつか興味深く感じた点がある。
まず、これは易占を行うフリをして初めから分かっている失せ物の在りかを示す話なのだが、卦を立てるのは易の心得のない旅籠の通い番頭であるから、筮竹を捌くという訳には行かぬ為、易者を父に持つ妻の入れ知恵で、算盤を使って立卦することになる。
今風に言えば簡易立卦具を用いた訳だ。
易の卦は数字さえ取れれば、どんな道具を使っても立卦出来るが、簡易立卦具の代表格である擲銭ではなく算盤というところが面白い。
子どもの頃に親に強制的に習わされたものの直ぐにイヤになって三月も経たずに辞めてしまった庵主には最早算盤の玉をどのように弾くのかということすら忘却の彼方に消え失せており、具体的な立卦の所作を想像することが出来ぬのを遺憾とするが、金の勘定に強い番頭には最も容易に操ることの出来る道具だから、これを立卦具としたのは中々の思い付きだろう。
もっとも、これは作者の創作ではなく、実際に昔は別名算易ともいう算盤を用いた占いが行われていたらしい。
また、筮法(と仮に呼んでおく)が、随貞白蛾以降に急速な広まりを見せたと思われる略筮法でないという点にも注意を引かれる。
得卦は艮為山之山水蒙であるから、二爻と三爻が変じており、中筮ないし本筮を想定しているようだ(或いは大阪の吉川祐三が行っていた四遍筮の原型ということも有り得る)。
噺の中では、本卦の艮為山から方角を東北とし、山水蒙の卦辞「我、童蒙に求むるにあらず、童蒙、我に求む」も併せ用いて(ここのところは一寸解し兼ねるけれど)土と水に縁のある器の中にあるべしと占断するのだが、奇妙な位に象占に偏っている感のある江戸時代を想定した占にも拘わらず、卦辞が判断に用いられているのも面白い。
実際に何時頃創作された演目かは判らぬが、それなりに易の心得を持つ落語家の手に成るものなのであろう。
さて、もし自分が徳利の紛失を占って此のような卦を得たならば、どう判断するだろうかと考えてみた。
まず、本卦は止まる意味の艮為山であるから家から持ち出されてはいないと見られる。
方角を東北としているのは本卦が重卦であるところから先ず第一に考えてこれも穏当な占断と言える。
動爻が六二と九三であるから位置から言えば下、恐らくは腰より下あたりと考えられ、一階か二階かなら一階だろう。
失せ物占では通常本卦より之卦の方を在りかと観ることが多いので、山水蒙を考えれば単純に暗いところに在ると言えそうだ。
暗くて土と水に関係する場所だと、昔の家屋なら土間・台所が一番に考えられる(番頭が御神酒徳利を隠したのは台所の甕の中)。
また、蒙卦が子供に関係する卦であることから、失せ物占の場合、子供が悪意なく隠してしまっていることもあり得よう。
ただし、外に持ち去られた可能性が排除出来る場合は別として、単純に見つかるかどうかが占的なら、艮為山之山水蒙では一寸難しいと判断するかもしれない(中筮のように爻卦を活用できれば多少楽観的な判断が出来る可能性はある)。
之卦が蒙というのは失せ物占では如何にも頼りない得卦という他なかろう。
通常、見つかり易いと判ずる手掛かりとなる震・離・兌がどこにも表出されておらず、坎と艮しかない訳だから、あまり気持ちの良い占ではない。
何はともあれ、易学講座などやらなかったら、一生落語処女のまま人生を終えていたかもしれない。
公田連太郎氏の『易経講話』では、蒙卦は教える側も教わる側も蒙の徳を持って居るのだと説かれているけれど、今回教える側の蒙が一つ啓かれたような気もする。
なんでも古典落語に易の蒙卦が登場する演目があって、細かい内容はうろ覚えながら“匪我求童蒙、童蒙求我”の卦辞まで登場するのだという。
白状すれば庵主は生まれて此の方、一度たりとも落語というものを聴いたことがなく、どのような演目があるのかということさえ何一つ知らない体たらくだから、一般論としての失せ物占に於ける蒙卦の観卦法を思いつくままに述べることしか出来なかったが、終了後にメールでyoutubeに出ている六代目三遊亭圓生(1900~1979)の音源を教えて頂いた。
御神酒徳利というタイトルらしい。
何分人生初の落語鑑賞につき、此の演目が落語としてどれ程の水準にあるのかはよく分からず、加えて易の事ばかりが気になって仕舞い、粗筋を今一つ飲み込むことも出来なかったが、いくつか興味深く感じた点がある。
まず、これは易占を行うフリをして初めから分かっている失せ物の在りかを示す話なのだが、卦を立てるのは易の心得のない旅籠の通い番頭であるから、筮竹を捌くという訳には行かぬ為、易者を父に持つ妻の入れ知恵で、算盤を使って立卦することになる。
今風に言えば簡易立卦具を用いた訳だ。
易の卦は数字さえ取れれば、どんな道具を使っても立卦出来るが、簡易立卦具の代表格である擲銭ではなく算盤というところが面白い。
子どもの頃に親に強制的に習わされたものの直ぐにイヤになって三月も経たずに辞めてしまった庵主には最早算盤の玉をどのように弾くのかということすら忘却の彼方に消え失せており、具体的な立卦の所作を想像することが出来ぬのを遺憾とするが、金の勘定に強い番頭には最も容易に操ることの出来る道具だから、これを立卦具としたのは中々の思い付きだろう。
もっとも、これは作者の創作ではなく、実際に昔は別名算易ともいう算盤を用いた占いが行われていたらしい。
また、筮法(と仮に呼んでおく)が、随貞白蛾以降に急速な広まりを見せたと思われる略筮法でないという点にも注意を引かれる。
得卦は艮為山之山水蒙であるから、二爻と三爻が変じており、中筮ないし本筮を想定しているようだ(或いは大阪の吉川祐三が行っていた四遍筮の原型ということも有り得る)。
噺の中では、本卦の艮為山から方角を東北とし、山水蒙の卦辞「我、童蒙に求むるにあらず、童蒙、我に求む」も併せ用いて(ここのところは一寸解し兼ねるけれど)土と水に縁のある器の中にあるべしと占断するのだが、奇妙な位に象占に偏っている感のある江戸時代を想定した占にも拘わらず、卦辞が判断に用いられているのも面白い。
実際に何時頃創作された演目かは判らぬが、それなりに易の心得を持つ落語家の手に成るものなのであろう。
さて、もし自分が徳利の紛失を占って此のような卦を得たならば、どう判断するだろうかと考えてみた。
まず、本卦は止まる意味の艮為山であるから家から持ち出されてはいないと見られる。
方角を東北としているのは本卦が重卦であるところから先ず第一に考えてこれも穏当な占断と言える。
動爻が六二と九三であるから位置から言えば下、恐らくは腰より下あたりと考えられ、一階か二階かなら一階だろう。
失せ物占では通常本卦より之卦の方を在りかと観ることが多いので、山水蒙を考えれば単純に暗いところに在ると言えそうだ。
暗くて土と水に関係する場所だと、昔の家屋なら土間・台所が一番に考えられる(番頭が御神酒徳利を隠したのは台所の甕の中)。
また、蒙卦が子供に関係する卦であることから、失せ物占の場合、子供が悪意なく隠してしまっていることもあり得よう。
ただし、外に持ち去られた可能性が排除出来る場合は別として、単純に見つかるかどうかが占的なら、艮為山之山水蒙では一寸難しいと判断するかもしれない(中筮のように爻卦を活用できれば多少楽観的な判断が出来る可能性はある)。
之卦が蒙というのは失せ物占では如何にも頼りない得卦という他なかろう。
通常、見つかり易いと判ずる手掛かりとなる震・離・兌がどこにも表出されておらず、坎と艮しかない訳だから、あまり気持ちの良い占ではない。
何はともあれ、易学講座などやらなかったら、一生落語処女のまま人生を終えていたかもしれない。
公田連太郎氏の『易経講話』では、蒙卦は教える側も教わる側も蒙の徳を持って居るのだと説かれているけれど、今回教える側の蒙が一つ啓かれたような気もする。
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