『わたし流佛教入門』福田敬子著
- 2022/06/16
- 18:21
記事のコメント欄より、Kさんからコンタクトがあったのは二月の暮れであった。
御尊母が亡くなられて、その遺稿集を出版したので、木藤謙さんに送付したものの、住所が変わっていて返送されて来てしまい、途方に暮れていたところ、拙ブログに木藤さんが度々登場している為、転居先について問い合わせて来られたのであった。
実は此の他界された御尊母というのが嘗ての福田屋旅館の御令嬢であり、神戸外大卒で語学に堪能であった此の福田敬子女史こそ小中学生時代の木藤さんの英語の家庭教師なのである。
年初の伏線が無ければ、突然福田屋旅館と言われても何のことやら判らなかったに違いないが、三月も経たないうちに其の福田屋旅館のご子孫より御連絡を頂いたことを考えると、木藤さんとの事前の遣り取りにも何か見えざる手の働きさえ感じられて、いささか恐ろしくもある(実はこういう故人がらみのエピソードが私には異常な程多い)。
いずれにせよ、木藤家と福田家との再びの縁を取り持つことが出来たのは光栄の至りであるが、余波はこれからも続き、なんと庵主までが此の遺稿集『わたし流佛教入門』を恵与されるという幸運を得た。
Kさんによると、ご遺族の間で遺稿集の制作が決まった際、広瀬宏道先生編纂の『紀藤元之介随想集』が本のサイズ、表紙の色や質感、金字の表題など、おしゃれで品格があり、お手本にしたのだという。
実際の装丁は一寸御洒落な御朱印帳という雰囲気になっているのだが、ああいう品の良い小著をイメージされたということであろう。
内容は、第一部が書簡スタイルで書かれた仏教入門書で、第二部が特定の相手へ向けて書かれた実際の書簡集になっている。
仏教と言っても、著者は熱心な法華経の信仰者(※S学会ではない。念の為)で、内容は基本的に日蓮および法華経に関するものにほぼ限られる。
私は仏教には丸で暗いので、その方面の話はとんと判らぬし、随所に見られる法華信者特有のパッションの発露は若干引いてしまうところも無いではないのだけれど、かかる故人の実際の人柄や雰囲気が伝わるものこそ、遺稿集として有縁の方々に読んで頂くには反って最適であろう。
また、流石富裕層の自費出版だけあって、本の作りや紙質も非常に優れていることに加え、遺族それぞれで分担して行った素人作業にしては校正が大変に行き届いていて感心させられた(誤字脱字を探し出すのは上手い方だと思っているが、その私でさえ僅かに一か所の誤植を見出せたにとどまる)。
今でも時折、Kさんとは遣り取りさせて頂いているが、メールの文面ひとつからでも人柄や知的背景というのは十分過ぎるほど伝わるもので、福田家の教育水準というのものを其処から窺い知ることが出来るように思う。
単なる御受験家庭に育った子供が大きくなったところで、親が死んでも遺稿集を出そうなどとは恐らくは考えつくまい。
こういうのが真の家庭教育の成果と呼ぶに相応しいと思うのだが、果たしてどうか。
御尊母が亡くなられて、その遺稿集を出版したので、木藤謙さんに送付したものの、住所が変わっていて返送されて来てしまい、途方に暮れていたところ、拙ブログに木藤さんが度々登場している為、転居先について問い合わせて来られたのであった。
実は此の他界された御尊母というのが嘗ての福田屋旅館の御令嬢であり、神戸外大卒で語学に堪能であった此の福田敬子女史こそ小中学生時代の木藤さんの英語の家庭教師なのである。
年初の伏線が無ければ、突然福田屋旅館と言われても何のことやら判らなかったに違いないが、三月も経たないうちに其の福田屋旅館のご子孫より御連絡を頂いたことを考えると、木藤さんとの事前の遣り取りにも何か見えざる手の働きさえ感じられて、いささか恐ろしくもある(実はこういう故人がらみのエピソードが私には異常な程多い)。
いずれにせよ、木藤家と福田家との再びの縁を取り持つことが出来たのは光栄の至りであるが、余波はこれからも続き、なんと庵主までが此の遺稿集『わたし流佛教入門』を恵与されるという幸運を得た。
Kさんによると、ご遺族の間で遺稿集の制作が決まった際、広瀬宏道先生編纂の『紀藤元之介随想集』が本のサイズ、表紙の色や質感、金字の表題など、おしゃれで品格があり、お手本にしたのだという。
実際の装丁は一寸御洒落な御朱印帳という雰囲気になっているのだが、ああいう品の良い小著をイメージされたということであろう。
内容は、第一部が書簡スタイルで書かれた仏教入門書で、第二部が特定の相手へ向けて書かれた実際の書簡集になっている。
仏教と言っても、著者は熱心な法華経の信仰者(※S学会ではない。念の為)で、内容は基本的に日蓮および法華経に関するものにほぼ限られる。
私は仏教には丸で暗いので、その方面の話はとんと判らぬし、随所に見られる法華信者特有のパッションの発露は若干引いてしまうところも無いではないのだけれど、かかる故人の実際の人柄や雰囲気が伝わるものこそ、遺稿集として有縁の方々に読んで頂くには反って最適であろう。
また、流石富裕層の自費出版だけあって、本の作りや紙質も非常に優れていることに加え、遺族それぞれで分担して行った素人作業にしては校正が大変に行き届いていて感心させられた(誤字脱字を探し出すのは上手い方だと思っているが、その私でさえ僅かに一か所の誤植を見出せたにとどまる)。
今でも時折、Kさんとは遣り取りさせて頂いているが、メールの文面ひとつからでも人柄や知的背景というのは十分過ぎるほど伝わるもので、福田家の教育水準というのものを其処から窺い知ることが出来るように思う。
単なる御受験家庭に育った子供が大きくなったところで、親が死んでも遺稿集を出そうなどとは恐らくは考えつくまい。
こういうのが真の家庭教育の成果と呼ぶに相応しいと思うのだが、果たしてどうか。
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