創世記の世界
- 2022/06/25
- 17:04
読書百遍意自ずから通ず等というけれど、幾ら読んでも分からないものは分からない。
読み手の頭脳が愚鈍蒙昧を極めて居れば、対象を幾ら眺めまわしたところで捉え切れないということもあろうし、誰が読んでもサッパリ判らぬというものも幾らでも存在する(図解周易大全などは後者の典型に違いない)。
しかし、百回読まずとも、或る時にフト天啓めいたものが降りて来るということが私のような凡庸な読み手にさえ稀には起こり得るようだ。
かつてメドハギ策の試運転がてら卦を立ててみて不応卦としか思えぬ不可解な卦爻を示されたことがあった。
当時は判り切った事柄を蓍策に問うてはいけないという問筮八戒を破ったからだとか、或いは所詮はメドハギの霊力などそんなもの、とでも考えて自分を納得させていたのだけれど、第五回の講座で天沢履を扱った際、テキストを予習していて、これは不応卦などではないということを感得するに至ったのである。
通常、天沢履は女子裸身之象などと言って、女性を占って得た場合、甚だ淫靡で身持ちの宜しからぬ意をそこに見る訳であるが、そんな紋切り型の判断しか出来ないようでは、これはもう糊付占の範疇を出るものではなかろう。
私は天沢履の女子裸身をこう読む。
易神の示し給うた天沢履は女子裸身には違いないのだけれど、それはパンパンもどきなどではなく、創世記に出て来るイヴそのもの、フルチンフルマンでエデンをうろついていた純真無垢なる魂を言ったものに違いない、と。
得られた卦爻の読み方を筮前の審事によって通常とは正反対にしなければならないという例は日常茶飯に経験することで、病占など景気の良い卦は大体凶意強きを観るのを常とする。
NARUTOによると「忍者は裏の裏を読むべきだ」というが、忍者だけでなくこれは占者も同じだろう。
筮前の審事で注意せねばならぬことは幾つかあるものの、高島呑象は『高島易断』山地剝六四の項に附された占例に於いて、「災ノ接近シタルヲ占フトキハ、必ズ其人ノ人相ヲ参照スベシ」と言い、人相を担保として卦爻を解釈していたことを窺わせるが、何故あの透明感を天沢履読卦の補助として参考にしなかったか、自らの陳腐な卦読みが今更ながらに悔やまれるばかり。
いずれ講座で参加者諸氏の練習占として「酒〇法子は清楚や否や」で立卦して、それぞれに判断して頂こうかという気が最近している。
巷間では、あんな清楚な人がヤクなど決めるとは俄かには信じがたいとして冤罪説、或いは誰かをかばっているのではという説が実しやかに語られているらしいが、我らの易神はきっと適切なる卦爻によって真実を照らし出してくれるに違いない。
遠きを言えば則ち禦まらず、以て邇きを言えば則ち静かにして正し、それが“易”なのであるから。
読み手の頭脳が愚鈍蒙昧を極めて居れば、対象を幾ら眺めまわしたところで捉え切れないということもあろうし、誰が読んでもサッパリ判らぬというものも幾らでも存在する(図解周易大全などは後者の典型に違いない)。
しかし、百回読まずとも、或る時にフト天啓めいたものが降りて来るということが私のような凡庸な読み手にさえ稀には起こり得るようだ。
かつてメドハギ策の試運転がてら卦を立ててみて不応卦としか思えぬ不可解な卦爻を示されたことがあった。
当時は判り切った事柄を蓍策に問うてはいけないという問筮八戒を破ったからだとか、或いは所詮はメドハギの霊力などそんなもの、とでも考えて自分を納得させていたのだけれど、第五回の講座で天沢履を扱った際、テキストを予習していて、これは不応卦などではないということを感得するに至ったのである。
通常、天沢履は女子裸身之象などと言って、女性を占って得た場合、甚だ淫靡で身持ちの宜しからぬ意をそこに見る訳であるが、そんな紋切り型の判断しか出来ないようでは、これはもう糊付占の範疇を出るものではなかろう。
私は天沢履の女子裸身をこう読む。
易神の示し給うた天沢履は女子裸身には違いないのだけれど、それはパンパンもどきなどではなく、創世記に出て来るイヴそのもの、フルチンフルマンでエデンをうろついていた純真無垢なる魂を言ったものに違いない、と。
得られた卦爻の読み方を筮前の審事によって通常とは正反対にしなければならないという例は日常茶飯に経験することで、病占など景気の良い卦は大体凶意強きを観るのを常とする。
NARUTOによると「忍者は裏の裏を読むべきだ」というが、忍者だけでなくこれは占者も同じだろう。
筮前の審事で注意せねばならぬことは幾つかあるものの、高島呑象は『高島易断』山地剝六四の項に附された占例に於いて、「災ノ接近シタルヲ占フトキハ、必ズ其人ノ人相ヲ参照スベシ」と言い、人相を担保として卦爻を解釈していたことを窺わせるが、何故あの透明感を天沢履読卦の補助として参考にしなかったか、自らの陳腐な卦読みが今更ながらに悔やまれるばかり。
いずれ講座で参加者諸氏の練習占として「酒〇法子は清楚や否や」で立卦して、それぞれに判断して頂こうかという気が最近している。
巷間では、あんな清楚な人がヤクなど決めるとは俄かには信じがたいとして冤罪説、或いは誰かをかばっているのではという説が実しやかに語られているらしいが、我らの易神はきっと適切なる卦爻によって真実を照らし出してくれるに違いない。
遠きを言えば則ち禦まらず、以て邇きを言えば則ち静かにして正し、それが“易”なのであるから。
スポンサーサイト