タートルマウンテンスティック
- 2022/07/01
- 20:30
本邦に於ける蓍の産地について、『和漢三才図絵』は「吉野丹波亀山及比叡山等ノ霊地ノ山谷ニ之アリ」と云い、『日月卦傳鈔』は「常州築バ山ノモノヲ第一トス。丹波亀山ノ産ハコノ次ナリ」としており、両書に共通する丹波亀山は、当時蓍の産地として知られていたらしい。
“第一”として挙げられる筑波山も気にならぬでもないが、何せ此の暑さでは遠征する気力に乏しく、加えて衛星で見た感じでは今一つメドハギ感に乏しい雰囲気が漂っていて、やはり躊躇させられるところがある。
しかし、丹波亀山は現在の京都府亀岡附近であるから、蒼流庵から僅かに車で二時間ほどの距離に過ぎない。
そこで、霊地に産する霊験あらたかなる蓍を求めて、早朝繰り出してみることに。
「麒麟がくる」ブームに便乗する形で建造された新しいものであるが、よく考えると又もや麒麟が蓍にリンクして来るという此の不思議。
普段ドライブしていてもメドハギは此の時期よく見かけるが、いざ探すとなると中々見つからないのもまた不思議な話。
ヨモギとセイタカアワダチソウが矢鱈メドハギに見えて来て始末が悪い。
特にヨモギは遠くから見ると実によく似ているのだが、蘇頌が蓍はヨモギに似ていると云っているのが現物を見るとよく分かる。
ただ、葉の生え方がやけにワサワサしていて、見慣れたメドハギとは一寸異なった雰囲気があるようだ。
まさか蓍の本場まで足を運んで外来種ということはあるまいなと一瞬不安が過ぎるが、いやいやこれも霊山の神秘の力を吸収して生じた形態変化の一種に違いないと自分を納得させ、採取開始。
早朝の採取なので、暑さをそこまで感じずにそこそこの本数をゲットすることが出来た。
こんな神秘的なムードの中で採取したメドハギは普段採取する幹線道路産などより遥かに勝る霊力を秘めて居そうだ。
いつも現地では本数を特に数えるようなことはせず、気儘に採取しているが、今回も十分な量がありそうで、これなら大衍之数五十などとケチ臭いことを言わず、長井金風の一百策説を採用したところで、まだ余裕がある。
ところで、三重県にも亀山という地名があるのだが、市立博物館のサイトによると、三重の亀山の蓍が占卜用に献上されたとある。
メドハギの中に住み着いている亀の甲羅をも占いに用いたので、産地が亀山と呼ばれるようになったというのは我が国の亀卜が海亀の甲を用いることから考えても眉唾モノだが、しかし、話の前後を逆に入れ替え、亀山という地名であったから其処に産する蓍が珍重されるようになったということなら大いにありそうな話だろう。
『史記』亀策列伝には「上に擣蓍有れば、下に神亀有り」、「蓍生じて百莖に満つる者は、其の下に必ず神蓍有り」といった文が見えており、蓍と亀とがワンセットになって存在するという荒唐無稽な考えが古人の頭の中にはあったものらしい。
とすれば、亀を冠する地名が蓍の産地に関連付けて捉えられたというようなことは古代にあってはありがちな話のように思われるから、丹波亀山云々というのも此の辺りに秘密がありそうな気がする。
もっとも筑波山は亀とは関係が無さそうなので、どういった理由かはよく分からぬ。
或いは寺島良安が比叡山をも挙げているところからすれば、霊山には未来をよく告げる蓍が生じるという程度の認識であったのかもしれない。
いずれ比叡山や筑波山にも調査を拡げてみたいところだ。
“第一”として挙げられる筑波山も気にならぬでもないが、何せ此の暑さでは遠征する気力に乏しく、加えて衛星で見た感じでは今一つメドハギ感に乏しい雰囲気が漂っていて、やはり躊躇させられるところがある。
しかし、丹波亀山は現在の京都府亀岡附近であるから、蒼流庵から僅かに車で二時間ほどの距離に過ぎない。
そこで、霊地に産する霊験あらたかなる蓍を求めて、早朝繰り出してみることに。
亀岡城跡前で明智光秀さんの御出迎えを受ける。
「麒麟がくる」ブームに便乗する形で建造された新しいものであるが、よく考えると又もや麒麟が蓍にリンクして来るという此の不思議。
普段ドライブしていてもメドハギは此の時期よく見かけるが、いざ探すとなると中々見つからないのもまた不思議な話。
ヨモギとセイタカアワダチソウが矢鱈メドハギに見えて来て始末が悪い。
特にヨモギは遠くから見ると実によく似ているのだが、蘇頌が蓍はヨモギに似ていると云っているのが現物を見るとよく分かる。
20分ほど附近を散策してようやく発見。
ただ、葉の生え方がやけにワサワサしていて、見慣れたメドハギとは一寸異なった雰囲気があるようだ。
まさか蓍の本場まで足を運んで外来種ということはあるまいなと一瞬不安が過ぎるが、いやいやこれも霊山の神秘の力を吸収して生じた形態変化の一種に違いないと自分を納得させ、採取開始。
早朝の採取なので、暑さをそこまで感じずにそこそこの本数をゲットすることが出来た。
採取を終えてフト振り返ると、遠方に霧を纏った神秘の霊山が聳えて居る。
こんな神秘的なムードの中で採取したメドハギは普段採取する幹線道路産などより遥かに勝る霊力を秘めて居そうだ。
いつも現地では本数を特に数えるようなことはせず、気儘に採取しているが、今回も十分な量がありそうで、これなら大衍之数五十などとケチ臭いことを言わず、長井金風の一百策説を採用したところで、まだ余裕がある。
ところで、三重県にも亀山という地名があるのだが、市立博物館のサイトによると、三重の亀山の蓍が占卜用に献上されたとある。
メドハギの中に住み着いている亀の甲羅をも占いに用いたので、産地が亀山と呼ばれるようになったというのは我が国の亀卜が海亀の甲を用いることから考えても眉唾モノだが、しかし、話の前後を逆に入れ替え、亀山という地名であったから其処に産する蓍が珍重されるようになったということなら大いにありそうな話だろう。
『史記』亀策列伝には「上に擣蓍有れば、下に神亀有り」、「蓍生じて百莖に満つる者は、其の下に必ず神蓍有り」といった文が見えており、蓍と亀とがワンセットになって存在するという荒唐無稽な考えが古人の頭の中にはあったものらしい。
とすれば、亀を冠する地名が蓍の産地に関連付けて捉えられたというようなことは古代にあってはありがちな話のように思われるから、丹波亀山云々というのも此の辺りに秘密がありそうな気がする。
もっとも筑波山は亀とは関係が無さそうなので、どういった理由かはよく分からぬ。
或いは寺島良安が比叡山をも挙げているところからすれば、霊山には未来をよく告げる蓍が生じるという程度の認識であったのかもしれない。
いずれ比叡山や筑波山にも調査を拡げてみたいところだ。
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