何ぞ必ずしも蓍亀を以ひん
- 2022/07/14
- 18:04
周易占に限って言えば、立卦には正統なる占具である(と思われている)筮竹をこそ用いるべきだとする立場と、立卦出来るなら筮竹以外のものを使用して一向に差し支えないとする立場とがある訳だが、安易に卦を起こし過ぎる簡易立卦具の弊害について警鐘を鳴らした加藤大岳氏は前者の立場であるし、もっと強く無筮立卦を批判していたという呑象高島嘉右衛門も前者に属する易占家であると言えよう。
しかし、今日易占を行う者の過半数どころか其の殆どが賽を以て卦に対峙していると思われるところからすると、易占界は後者の立場を取る占法家で占められていると考えて差し支えないようだ。
私自身は孰れかと言えば後者に属するが、自分の考えを他者に押し付けよう等というつもりは一切ない。
しかし、古昔の先哲達がどのような立場を表明していたかについては学問的に明らかにする価値があると考えているので、今日は試みに『論衡』を覗き見てみることにしたい。
『論衡』は後漢の思想家・王充の手に成るもので、この人は当時にあっては特異と言って良いほどに合理的な思考および実証主義に貫かれた精神の持ち主であり、同時代では異端そのものであったが、現代の我々には反って爽快の感を覚えしめるところさえある。
この『論衡』に卜筮篇という文字通りの章篇があって、次のような問答が見えて居る(読み下し及び訳は新釈漢文大系本に拠った)。
子路、孔子に問ひて曰く「豬肩・羊膊、以て兆を得べく、雚葦・藁芼、以て数を得べし。何ぞ必ずしも蓍亀を以ひん」と。
孔子曰く「然らず。蓋し其の名を取れるなり。夫れ蓍の言為る、耆なり。亀の言為る、舊なり。狐疑の事を明らかにするには、當に耆舊に問うべきなり」と。
子路が孔先生に問うていうには、「豚や羊の肩の骨でもうらかたは得られるし、おぎやあし、わらや草でもうらかたが得られるから、なにもめどぎや亀甲を必要としようか」と。
これに対し孔先生がいわれるには、「そうではない。蓍や亀という名に意味があるのだ。いったい蓍ということばは耆からきており、また亀ということばは旧からきている。疑わしく決心のつかない事を見分けるには、古老に問うべきだ」と。
いつの時代にも同じような疑問を持つ人が居ることがよく分かる記述であろう。
実際に孔子と子路との間で此の様な問答が行われたのかどうか、必ずしも史実の反映と見ることは出来ぬし、恐らくは当時儒者の間で行われた問答が孔子と子路との間の遣り取りに仮託されたものと見るべきであろうが、孰れにせよ、このような記述からでも当時の人たちの考え方の一端を覗き見ることが出来る訳だ。
結論は伝統的な占具を用いるべきだという儒家らしい尚古主義に落ち着いているようだが、ただ名前に意味があるのだという孔子の答えには然したる説得力がないし、王充も此の問答に続けて名称に拘る言説を馬鹿にしたような書き方をしている(もっとも或る名称がつけられた所以が其の働きにあるという事は考えられぬでもない)。
しかし、誰もが考えるようなことは大昔のなん人かが既に提出している疑問であるという至極当たり前のことを、こうした記述は我々に再確認させてくれるようだ。
しかし、今日易占を行う者の過半数どころか其の殆どが賽を以て卦に対峙していると思われるところからすると、易占界は後者の立場を取る占法家で占められていると考えて差し支えないようだ。
私自身は孰れかと言えば後者に属するが、自分の考えを他者に押し付けよう等というつもりは一切ない。
しかし、古昔の先哲達がどのような立場を表明していたかについては学問的に明らかにする価値があると考えているので、今日は試みに『論衡』を覗き見てみることにしたい。
『論衡』は後漢の思想家・王充の手に成るもので、この人は当時にあっては特異と言って良いほどに合理的な思考および実証主義に貫かれた精神の持ち主であり、同時代では異端そのものであったが、現代の我々には反って爽快の感を覚えしめるところさえある。
この『論衡』に卜筮篇という文字通りの章篇があって、次のような問答が見えて居る(読み下し及び訳は新釈漢文大系本に拠った)。
子路、孔子に問ひて曰く「豬肩・羊膊、以て兆を得べく、雚葦・藁芼、以て数を得べし。何ぞ必ずしも蓍亀を以ひん」と。
孔子曰く「然らず。蓋し其の名を取れるなり。夫れ蓍の言為る、耆なり。亀の言為る、舊なり。狐疑の事を明らかにするには、當に耆舊に問うべきなり」と。
子路が孔先生に問うていうには、「豚や羊の肩の骨でもうらかたは得られるし、おぎやあし、わらや草でもうらかたが得られるから、なにもめどぎや亀甲を必要としようか」と。
これに対し孔先生がいわれるには、「そうではない。蓍や亀という名に意味があるのだ。いったい蓍ということばは耆からきており、また亀ということばは旧からきている。疑わしく決心のつかない事を見分けるには、古老に問うべきだ」と。
いつの時代にも同じような疑問を持つ人が居ることがよく分かる記述であろう。
実際に孔子と子路との間で此の様な問答が行われたのかどうか、必ずしも史実の反映と見ることは出来ぬし、恐らくは当時儒者の間で行われた問答が孔子と子路との間の遣り取りに仮託されたものと見るべきであろうが、孰れにせよ、このような記述からでも当時の人たちの考え方の一端を覗き見ることが出来る訳だ。
結論は伝統的な占具を用いるべきだという儒家らしい尚古主義に落ち着いているようだが、ただ名前に意味があるのだという孔子の答えには然したる説得力がないし、王充も此の問答に続けて名称に拘る言説を馬鹿にしたような書き方をしている(もっとも或る名称がつけられた所以が其の働きにあるという事は考えられぬでもない)。
しかし、誰もが考えるようなことは大昔のなん人かが既に提出している疑問であるという至極当たり前のことを、こうした記述は我々に再確認させてくれるようだ。
スポンサーサイト