『ミカドの岩戸がくれ』紀藤元之介著
- 2022/08/10
- 18:19
『ミカドの岩戸がくれ』紀藤元之介著(金龍神社崇敬同志の会/1978年刊)
6月の暮れ、神奈川の録画受講生Y氏より「既にお持ちとは思いますが」との前置き付で一冊の古書が届けられた。
Y氏の言の如く既にお持ちの一冊、というより広瀬先生と木藤謙さんから過去に恵与されているので、実は三冊目になるのだが、氏が送ってくれた三冊目が最もコレクターズアイテムと呼ぶに相応しい逸品であって、なんと紀藤先生が安岡正篤先生に贈られた謹呈署名本なのであった。
紀藤先生が師友協会の会員であったとは初耳だが、Y氏によると細木センセイあたりがうっぱらったものではないかという。
本書は易関連の書籍ではなく、昭和53年に春日大社の金龍神社に有志で語らって、万成石製の柚木型灯籠、神社由来記、後醍醐天皇聖蹟碑を建立した際の或る種の記念誌のようなものであるらしい。
金龍神社の御神体は後醍醐天皇が奉納された禽獣葡萄鏡で、これは現在宝物殿に泰安されており、盛唐の遺品ということになっているのだが、紀藤先生はこれに異説を唱え、伊勢大神の御正躰(みしょうたい)を崇神天皇の御代、鋳型に写し、以後宮中で「代宮」として祀られた御鏡の一つではないかとし、それが本書の骨格を為す。
要は此の御鏡そのもののオリジナルは焼亡し、後に残された鋳型から模造されたものと見ているのである。
私自身は銅鏡に関しては門外漢であるし、さしたる興味も持ち合わせておらず、また金龍社の御祭神には好かれていないものと見え、参拝時には決まって渋滞に巻き込まれるし、御法川先生の御誘いで参列した崇敬会では虻に足首をかじられて一週間腫れあがった記憶ばかりが消し去り難く脳裡に浮遊しているのは、或いは前世で足利の走狗でもやっていた為ではないかという気もする。
金龍神社への種々の奉納建立について、紀藤先生も嘗て先祖の誰かが帝を苦しめる側にあったかもしれないという後ろめたさが動機の一つであることを吐露しておられるが、幟旗一つ奉納したくらいでは庵主の過去生に於ける不敬は許されないもののようだ。
ところで、基本的に易とは関連性の低い本書中、「国事を占う」と題した六頁の小篇は、「有事立法」の必要性について元之筮法(四遍筮)で占い、山地剝不変を得た占例紹介なのであるが、四十数年を経た現在、易神の御示しの的確なることに驚きを禁じ得ない。
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