ある日の公田連太郎氏(下)
- 2022/08/28
- 10:28
冬のうす日がさす。それを背にして、公田さんはうれしそうにいう。ひざの上に分厚い和とじ本。
「ゆうべ『大智度論』をやっと読み終りました。と申しても、なんにも残っておりませんが……しかし読んでいる間は、空中に浮んでるような気分でござした」
公田さんは昨年一月、病気をした。
もうダメだと思ったところ、不思議になおった。
そこで心祝に読もうと、仏教の故事来歴を書いた『法苑珠林』(ほうおんじゅりん)を読始め、いつの間にか二百二十巻を終った。
六月、『大智度論』を読始め、どこまで読んだら死ぬかと思って続けているうち、ついに二四三九ページを読終えたのである。
こまかい活字が上下二段にギッシリつまっている。
それを公田さんはメガネもかけず、夜半に起きたときも読みつづけた。
「不思議に目と耳だけは生きている」のだという。
おどろくべき目、耳、そして記憶力。
「近ごろは仏典にしても、漢籍にしても学問的にずいぶん研究が進んだようです。けれど、道をきわめるために読む人は少なくなったのではないでしょうか」
論語を読んで論語を知らず――公田さんはそれを悲しんでいる。
この狭い八畳に、月二回、八、九人の人たちが集る。
公田さんはその人たちに『詩経』を講じている。
入れかわり立ちかわりして、もう何年つづいたろうか。
あるとき、そのひとりが「いつごろ読終るでしょうか」ときいた。
いつごろ終る――それをきいて公田さんは講義の速度をいよいよゆるめた。
「易経にしろ、詩経にしろ、完全に読終ることはありません」というのだ。
公田さんを慕ってくる人のなかには、画家の小杉放庵、中川一政、石井鶴三らもいる。酒井杏之助氏(第一銀行頭取)や禅学者の辻雙明氏もいる。ふつうの会社員や、主婦もいる。
「先生の広大な学殖を語ることは私にはできないが、わからぬことがあったらすぐ駆けつけようと思う先生を持っていることをしあわせに思う。先生に会えば必ず得るところがある」と中川氏は語り、「先生は、自分の顔を自分で彫刻してこられたような方だ。そのノミは自分の心だった」と辻氏は語り、「先生は猛獣のようにみずから養う心の食べ物を自分で求めて歩かれてきた。家畜のように与えられた食べ物で育ったのではない」と酒井氏は語る。
公田さんは決して孤(ひとり)ではない。
公田さんは五十四歳まで結婚しなかった。
禅僧になろうと思っていたからでもあるが、ひとつには結婚するだけの経済的余裕がなかったためである。
「困らなかったのは『国訳漢文大成』で印税がはいったときだけ。あとは、それはさんたんたるものでござした」という。
貧しいので大学へ行けず、早大で坪内逍遥の講義を盗みぎきしたこともある。
禅寺の離れにひとり病んでいたこともある。
しかしいつも顔回のように楽しみを改めなかった。
「彼と話をしてるとノンキでいい」と泉鏡花が不思議そうにいったという。
五十を過ぎてやっと結婚し、一男一女をもうけたが、その妻も、もういない。
「二つに分かれてしまった世の中は、心配でござす。しかし、八十七歳でどうすることができましょう。いい世の中になるのを願って安らかに終るほかござせん」
そして公田さんは、これから『大蔵経』を読始るのだという。
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