遠くの顔~小杉放庵~
- 2022/09/22
- 18:11
われわれが集っているアトリエに、時々白ひげの柔和な目をした老人が顔を出した。
これが公田連太郎先生であって、放庵宅の茶の間の客であった。
勿論放庵より年上である。
先生は小石川の至道庵で、無難禅師のことを調べているところであった。
無難、正受老人、白隠と法系が続くが、至道庵にはその文献があったので、先生はそこに起き伏されていた。
ある日、先生は放庵のところへ相談に来た。
「結婚しようと思うのだが、どうであろう。」
放庵は返事をした。
「それはよした方がよかろう。この年になって年増女につかまってはたまらない」
黙って帰ったきり、先生はしばらく来なくなってしまった。
放庵は心配になり、息子を捜しにやった。
先生は世田谷の奥にちゃんとお嫁さんをもらっていて、「はあ。」と云って出て来たそうである。
間もなく、放庵はせっかくこんな先生がいるのに遊ばせておくのはもったいないと云って、老荘会を作った。
遊んでいるのはもったいないとは云わなかった。
小室翠雲門下で、放庵に新南画を教えてもらいたいと云って来ていた岸波百艸居に事務をとってもらうことにした。
先生は「国訳漢文大成」の仕事に従事していた。
すでに「資治通鑑」だけでも大変厄介な事業であった。
まず「荘子」からはじめた。
週一回で、内篇、外篇、四年間かかった。
それから「詩経」、「文選」を経て、「易経」の大半まで、戦争の爆撃の来るまで続いた。
これが公田連太郎先生であって、放庵宅の茶の間の客であった。
勿論放庵より年上である。
先生は小石川の至道庵で、無難禅師のことを調べているところであった。
無難、正受老人、白隠と法系が続くが、至道庵にはその文献があったので、先生はそこに起き伏されていた。
ある日、先生は放庵のところへ相談に来た。
「結婚しようと思うのだが、どうであろう。」
放庵は返事をした。
「それはよした方がよかろう。この年になって年増女につかまってはたまらない」
黙って帰ったきり、先生はしばらく来なくなってしまった。
放庵は心配になり、息子を捜しにやった。
先生は世田谷の奥にちゃんとお嫁さんをもらっていて、「はあ。」と云って出て来たそうである。
間もなく、放庵はせっかくこんな先生がいるのに遊ばせておくのはもったいないと云って、老荘会を作った。
遊んでいるのはもったいないとは云わなかった。
小室翠雲門下で、放庵に新南画を教えてもらいたいと云って来ていた岸波百艸居に事務をとってもらうことにした。
先生は「国訳漢文大成」の仕事に従事していた。
すでに「資治通鑑」だけでも大変厄介な事業であった。
まず「荘子」からはじめた。
週一回で、内篇、外篇、四年間かかった。
それから「詩経」、「文選」を経て、「易経」の大半まで、戦争の爆撃の来るまで続いた。
(『中川一政全文集』八巻27p~28p)
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