公田会
- 2022/10/01
- 10:05
神奈川の録画受講組Y氏が御恵送くださった古書の幾つかは既に記事の中で御紹介しているが、先日公田会についての資料を送って頂いた。
古書店で『易経講話』の原本である『周易講話』35冊を入手された際、挟まっていたものという。
実はY氏が『周易講話』を入手されるのは二度目で、一度は蔵書整理の際メルカリで処分したらしいのだが、今回かなり気の毒な古書価がつけられていた為、つい購入してしまったとのことである。
私自身は『周易講話』を手に取ったことがないのだが、Y氏によると古書市場に流通しているものも35冊までしかないので、最終巻である36冊(既済・未済)だけ未刊に終わっているのではないかということだ。
中々に興味深い資料であるが、これだけ入手しようとしてどうにかなるものではないので、御参考までに画像をアップすることにする(全てクリックすれば拡大)。
昭和29年2月、第一冊の配本時に附された挨拶文で、初回よりの申込者が次の資料に列挙されている。
大部分は知らない名前だが、一人一人調べてみたら当時『周易講話』がどのような層の人たちに読まれていたのかが分かって面白いかもしれない。
ちなみに一番始めに挙がっている石坂泰三は元経団連の会長である。
第17回の配本に附された挨拶文で、著者の体調不良による遅延のため配本が遅れたとあり、翌月春秋社より刊行される『無難禅師集』も紹介されている。
この領収書(?)により、Y氏が入手されたのが安念育英なる人物の旧蔵であったことが分かるが、この安念氏、調べてみると清水建設の常務取締役を務めた財界人らしい。
Y氏所蔵の『易学大講座』の第十版は偶々昭和29年のものだそうだが、定価は僅かに180円というから、ペラペラの『周易講話』一冊が『易学大講座』二巻分に相当することを考えると、べらぼうに高価な代物と言えそうだ。
かかる点にも読者層の懐具合が反映されている気がする。
また、領収書の判子が「高木」となっているところからすると、公田会の所在として記されている小山町19番地というのは世話人に名を連ねる高木一夫氏の居宅ないし事務所であろうか。
9月25日の遠くの顔~公田連太郎~にて暫く続いた公田連太郎絡みの連載は打ち止めにしたつもりであったけれど、Y氏の御蔭で思わぬ続編を書くことの出来る幸運に恵まれたことを此の場を借りて感謝申し上げたい。
古書店で『易経講話』の原本である『周易講話』35冊を入手された際、挟まっていたものという。
実はY氏が『周易講話』を入手されるのは二度目で、一度は蔵書整理の際メルカリで処分したらしいのだが、今回かなり気の毒な古書価がつけられていた為、つい購入してしまったとのことである。
私自身は『周易講話』を手に取ったことがないのだが、Y氏によると古書市場に流通しているものも35冊までしかないので、最終巻である36冊(既済・未済)だけ未刊に終わっているのではないかということだ。
中々に興味深い資料であるが、これだけ入手しようとしてどうにかなるものではないので、御参考までに画像をアップすることにする(全てクリックすれば拡大)。
昭和29年2月、第一冊の配本時に附された挨拶文で、初回よりの申込者が次の資料に列挙されている。
大部分は知らない名前だが、一人一人調べてみたら当時『周易講話』がどのような層の人たちに読まれていたのかが分かって面白いかもしれない。
ちなみに一番始めに挙がっている石坂泰三は元経団連の会長である。
第17回の配本に附された挨拶文で、著者の体調不良による遅延のため配本が遅れたとあり、翌月春秋社より刊行される『無難禅師集』も紹介されている。
この領収書(?)により、Y氏が入手されたのが安念育英なる人物の旧蔵であったことが分かるが、この安念氏、調べてみると清水建設の常務取締役を務めた財界人らしい。
Y氏所蔵の『易学大講座』の第十版は偶々昭和29年のものだそうだが、定価は僅かに180円というから、ペラペラの『周易講話』一冊が『易学大講座』二巻分に相当することを考えると、べらぼうに高価な代物と言えそうだ。
かかる点にも読者層の懐具合が反映されている気がする。
また、領収書の判子が「高木」となっているところからすると、公田会の所在として記されている小山町19番地というのは世話人に名を連ねる高木一夫氏の居宅ないし事務所であろうか。
9月25日の遠くの顔~公田連太郎~にて暫く続いた公田連太郎絡みの連載は打ち止めにしたつもりであったけれど、Y氏の御蔭で思わぬ続編を書くことの出来る幸運に恵まれたことを此の場を借りて感謝申し上げたい。
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