儒者競
- 2022/10/13
- 21:47
江戸時代には相撲の番付に準えた各界名家の人名簿「見立番付」が流行し、医学分野のものでは京都の思文閣から昔出ていた『大坂医師番付集成』を私もよく利用しているのだが、儒者競なる儒者版の見立番付が先日調べものをしていて偶然目に留まった。
大部分は見知った名前どころか、掃苔さえ既に済ませていることに我ながら驚かされるが、大高坂芝山(1647~1713)といった何度も現地調査を試みて発見に至らなかった人のことも名前を見て懐かしく思い返している。
私が掃苔しているということは、易学に関連する所謂“易儒”である訳で、平安朝の昔には『論語』の影響で五十歳にならない者は読んではいけない等と言われて意外な程とり組まれた形跡の無い『易経』も、江戸期ともなれば主要な儒者の大部分が盛んに講じたり、一家言を書物に纏めて遺したりしているところに、時代の変化が感じられよう。
また、流石に有名どころがズラリと並んでいるとは言え、現代では知名度がかなり低下している名家もチラホラ見えており、述作の多寡か弟子の活躍度か、如何なる要因によるのかは個別の検討を要するものの、栄枯盛衰が世の常であることもまた此の手の番付表は我々に教えてくれる。
近代以降は余り此の手の見立番付が制作されたという話を耳にしないように思うが、昭和の易占家番付なんか作るとしたら、誰をどんな風に並べようか等、秋の夜長にアレコレ夢想するのも楽しいものだ。
大部分は見知った名前どころか、掃苔さえ既に済ませていることに我ながら驚かされるが、大高坂芝山(1647~1713)といった何度も現地調査を試みて発見に至らなかった人のことも名前を見て懐かしく思い返している。
私が掃苔しているということは、易学に関連する所謂“易儒”である訳で、平安朝の昔には『論語』の影響で五十歳にならない者は読んではいけない等と言われて意外な程とり組まれた形跡の無い『易経』も、江戸期ともなれば主要な儒者の大部分が盛んに講じたり、一家言を書物に纏めて遺したりしているところに、時代の変化が感じられよう。
また、流石に有名どころがズラリと並んでいるとは言え、現代では知名度がかなり低下している名家もチラホラ見えており、述作の多寡か弟子の活躍度か、如何なる要因によるのかは個別の検討を要するものの、栄枯盛衰が世の常であることもまた此の手の番付表は我々に教えてくれる。
近代以降は余り此の手の見立番付が制作されたという話を耳にしないように思うが、昭和の易占家番付なんか作るとしたら、誰をどんな風に並べようか等、秋の夜長にアレコレ夢想するのも楽しいものだ。
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