黄天まさに立つべし
- 2022/10/25
- 18:19
先週の講演では陰陽五行思想の来歴と変遷をテーマとして取り上げたので、当然のことながら鄒衍による五徳終始説、つまり五行相勝の順に王朝が交代して行くとする、よく知られた循環の思想についてもお話し、前漢末に登場する相生説を用いた王朝交代の理論が鄒衍以来の相勝式に取って代わることを説明したが、終了後にオンラインで聴講された方より、黄巾の乱の指導者であった張角が掲げた“蒼天すでに死し、黄天まさに立つべし”という革命のスローガンが五行説によって説明可能であるかという主旨の御質問を頂いた。
相生説による王朝交代理論は前漢末に登場して、後漢の劉秀光武帝がこれを採用して以降、支那の王朝交代は専ら相生説によって説明されることが定式化し、これによると漢朝は火徳ということになっているから、張角の云う“黄天”が土徳によって火徳を承けるという意味であることは間違いないのだが、そうすると“蒼天すでに死す”の“蒼”がよく分からなくなって来る訳だ。
蒼を五行の木と解すれば、相勝でも相生でもうまく説明が付かなくなる為、従来ここには或る種の省略があって、“蒼天”は五行の木とは関係がなく、単に“天”という位の意味で(空は蒼いので)、このスローガン自体は「天(蒼天)から命を受けた火徳の漢王朝は死に、黄すなわち土徳の王朝によって交替されるべきだ」という程度の意味であるらしい。
今一つスッキリしないような気もするが、支那の古文にはありがちなことであるし、『知のユーラシア4 宇宙を駆ける知』(明治書院/2014年刊)でもそのように説明されているから、とりあえずこれで大過ないようだ。
ところで、黄巾の乱を巻き起こした張角は思惑通りに劉氏に取って代わって新王朝の皇帝になるという野望を実現することは叶わなかったけれど、この乱がきっかけとなり、前後合わせて約400年続いた漢王朝は終焉を迎え、王莽以来の本当の意味での国教としての儒教もまた滅んだ。
また、儒教が衰微した代わりに道教が登場して来るのだが、本来道教はそれ以前の老荘やら道家やらとは厳密にはイコールではなく、秘密結社の信仰から発生した民間宗教としての道教は張角の指導した太平道辺りを起源とするものであって、其の点でも黄巾の乱は単なる農民一揆の類ではなく、支那の歴史上の重大事件の一つとして数えて差し支えないものであった。
相生説による王朝交代理論は前漢末に登場して、後漢の劉秀光武帝がこれを採用して以降、支那の王朝交代は専ら相生説によって説明されることが定式化し、これによると漢朝は火徳ということになっているから、張角の云う“黄天”が土徳によって火徳を承けるという意味であることは間違いないのだが、そうすると“蒼天すでに死す”の“蒼”がよく分からなくなって来る訳だ。
蒼を五行の木と解すれば、相勝でも相生でもうまく説明が付かなくなる為、従来ここには或る種の省略があって、“蒼天”は五行の木とは関係がなく、単に“天”という位の意味で(空は蒼いので)、このスローガン自体は「天(蒼天)から命を受けた火徳の漢王朝は死に、黄すなわち土徳の王朝によって交替されるべきだ」という程度の意味であるらしい。
今一つスッキリしないような気もするが、支那の古文にはありがちなことであるし、『知のユーラシア4 宇宙を駆ける知』(明治書院/2014年刊)でもそのように説明されているから、とりあえずこれで大過ないようだ。
ところで、黄巾の乱を巻き起こした張角は思惑通りに劉氏に取って代わって新王朝の皇帝になるという野望を実現することは叶わなかったけれど、この乱がきっかけとなり、前後合わせて約400年続いた漢王朝は終焉を迎え、王莽以来の本当の意味での国教としての儒教もまた滅んだ。
また、儒教が衰微した代わりに道教が登場して来るのだが、本来道教はそれ以前の老荘やら道家やらとは厳密にはイコールではなく、秘密結社の信仰から発生した民間宗教としての道教は張角の指導した太平道辺りを起源とするものであって、其の点でも黄巾の乱は単なる農民一揆の類ではなく、支那の歴史上の重大事件の一つとして数えて差し支えないものであった。
スポンサーサイト