中国哲学書電子化計画
- 2022/11/01
- 18:12
テキストの程度について色々と難癖を付けられることの多い中国哲学書電子化計画であるが、語句の検索にこれ以上便利なツールは目下見当たらないし、また難癖をつけられがちなのも、畢竟利用者の多さの裏返しと看做すことが出来よう。
先月の陰陽五行思想についての講演の準備に際しても大いに活用させてもらい、今も利用しない日が無いと言っても良いくらいなのだが、最近まで気付かずに居たことがある。
それは、書籍の分類に奇妙な点があることで、例えば先秦両漢の「経典文献」に『詩経』や『尚書』『周易』が挙げられているのは、「経典文献」=「経書」と考えれば当たり前であるが、下のほうにスクロールして行くと、『楚辞』や『山海経』から『焦氏易林』『京氏易伝』の如き占術書まで挙げられていて、一体全体これはどうした事だろうかと思った。
『太玄経』は儒家に入っているが、これなどは孰れかと言えば『焦氏易林』や『京氏易伝』の御仲間に数えてやりたくなるような書物だ。
そして、『春秋』の類を「経典文献」として数え上げずに「史書」にカテゴライズするのは、それはそれで取り立てて異を唱えることもないにせよ、『周礼』『儀礼』が「経典文献」に入れられているのに、三礼の中で『礼記』だけが「儒家」に入っているのも奇妙と言えば奇妙な気がする(“記”であるから“経”より一段下のものとして扱うという考え方も勿論あるけれど、三礼の中で一つだけハミゴにするのは可哀そうだと思うのも亦私一人ではあるまい)。
開いたことさえない書物の方がずっと多く並んでいるから、多聞博識の人が見たらもっと風変りなカテゴライズを見つけることが出来るやもしれぬ。
先月の陰陽五行思想についての講演の準備に際しても大いに活用させてもらい、今も利用しない日が無いと言っても良いくらいなのだが、最近まで気付かずに居たことがある。
それは、書籍の分類に奇妙な点があることで、例えば先秦両漢の「経典文献」に『詩経』や『尚書』『周易』が挙げられているのは、「経典文献」=「経書」と考えれば当たり前であるが、下のほうにスクロールして行くと、『楚辞』や『山海経』から『焦氏易林』『京氏易伝』の如き占術書まで挙げられていて、一体全体これはどうした事だろうかと思った。
『太玄経』は儒家に入っているが、これなどは孰れかと言えば『焦氏易林』や『京氏易伝』の御仲間に数えてやりたくなるような書物だ。
そして、『春秋』の類を「経典文献」として数え上げずに「史書」にカテゴライズするのは、それはそれで取り立てて異を唱えることもないにせよ、『周礼』『儀礼』が「経典文献」に入れられているのに、三礼の中で『礼記』だけが「儒家」に入っているのも奇妙と言えば奇妙な気がする(“記”であるから“経”より一段下のものとして扱うという考え方も勿論あるけれど、三礼の中で一つだけハミゴにするのは可哀そうだと思うのも亦私一人ではあるまい)。
開いたことさえない書物の方がずっと多く並んでいるから、多聞博識の人が見たらもっと風変りなカテゴライズを見つけることが出来るやもしれぬ。
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