易学供養塔&医史跡散策の会
- 2022/12/01
- 18:20
先週、易学講座を受講されている方々と共に四天王寺の易学先師先覚合祀供養塔を参拝して来た。
学業成就の祈願が目的であることは言うまでもないが、オンライン講座の性質上、遠方の為に参拝困難な方も居られるので、代理参拝の意味合いも兼ねた企画である。
私の講座を受講されているのは医学関係者が多い為、四天王寺近郊の医史跡も併せて巡るツアーにしてみたのだが、受講者のO先生が以前附近の歴史ガイドもなさっていたとお聞きしていたので、無理を言ってガイド役を引き受けて頂いた。
O先生は大阪市立大学(現大阪公立大)大学院で東洋学を研究された経歴の持ち主。
供養塔参拝後、麻田剛立や田能村竹田、各務文献らの墓所がある浄春寺へ移動し、お次は北山不動で医家としての出世祈願。
続いて、岡本一抱の後を襲った岡本蘭祭・尚古斎の墓所を掃苔し、13時に予約しておいたイタリアンのお店ミツバさんに時間きっかりに到着して、ランチコースを堪能した。
お店の選定に当たってはO先生と二人で易占を駆使したのだが、なかなか面白い得卦で食事中も其の話題で盛り上がることに。
15時半までまったりして散会となったが、急遽、庵主行きつけの小料理屋Kumicoで打ち上げをという話になり、開店までしばらく時間があった為、更に附近の医史跡を廻ることになった。
当初少し場所が離れているという理由で、散策会のコースから外していた永富独嘯庵の蔵鷺庵に向かい、お次は二代目玄龍子門だった八木喜三朗先生の墓所を久しぶりに掃苔した後、堺にもゆかりのある三浦道斎の墓所へ。
続いて、曲直瀬門の高弟である古林見宜の墓所がある禅林寺へ向かったが、なんと参加されたA先生は最近五代目見宜の『難経或問』を御読みとかで、この偶然に驚いておられた。
だんだん日も暮れてきたが、更に谷町筋を南下して最後に広瀬旭荘と平賀中南の墓所がある統国寺へ足早に移動し、全ての行程を消化して小料理屋へ向かったのであった。
ご参加くださった皆様、案内してくださったO先生、お疲れさまでしたm(_ _)m
学業成就の祈願が目的であることは言うまでもないが、オンライン講座の性質上、遠方の為に参拝困難な方も居られるので、代理参拝の意味合いも兼ねた企画である。
私の講座を受講されているのは医学関係者が多い為、四天王寺近郊の医史跡も併せて巡るツアーにしてみたのだが、受講者のO先生が以前附近の歴史ガイドもなさっていたとお聞きしていたので、無理を言ってガイド役を引き受けて頂いた。
O先生は大阪市立大学(現大阪公立大)大学院で東洋学を研究された経歴の持ち主。
供養塔参拝後、麻田剛立や田能村竹田、各務文献らの墓所がある浄春寺へ移動し、お次は北山不動で医家としての出世祈願。
続いて、岡本一抱の後を襲った岡本蘭祭・尚古斎の墓所を掃苔し、13時に予約しておいたイタリアンのお店ミツバさんに時間きっかりに到着して、ランチコースを堪能した。
お店の選定に当たってはO先生と二人で易占を駆使したのだが、なかなか面白い得卦で食事中も其の話題で盛り上がることに。
15時半までまったりして散会となったが、急遽、庵主行きつけの小料理屋Kumicoで打ち上げをという話になり、開店までしばらく時間があった為、更に附近の医史跡を廻ることになった。
当初少し場所が離れているという理由で、散策会のコースから外していた永富独嘯庵の蔵鷺庵に向かい、お次は二代目玄龍子門だった八木喜三朗先生の墓所を久しぶりに掃苔した後、堺にもゆかりのある三浦道斎の墓所へ。
続いて、曲直瀬門の高弟である古林見宜の墓所がある禅林寺へ向かったが、なんと参加されたA先生は最近五代目見宜の『難経或問』を御読みとかで、この偶然に驚いておられた。
だんだん日も暮れてきたが、更に谷町筋を南下して最後に広瀬旭荘と平賀中南の墓所がある統国寺へ足早に移動し、全ての行程を消化して小料理屋へ向かったのであった。
ご参加くださった皆様、案内してくださったO先生、お疲れさまでしたm(_ _)m
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