易に関する多くの著作を残した杭辛斎(1869~1924)という清末民初の知識人が居て、獄中で易を学んだという宛ら文王や呑象ばりの人物であるのだが、アジアの中で最も早く近代化に成功した日本に同時代を生きた中国知識人の多くが羨望の眼差しを向けたのと同じく、彼もまた当時の我が国、殊に易学界を極めて好意的に見ていたらしきことが、其の著『学易筆談二集』から見て取れる。
同書「日本之易学」の項において、日本の文学は皆、中国から海を渡って来たものだが、我が国では既に佚書となっているものが日本には夥しく保存されていることに感心しており、東京には易学会あり、易学の講演所あり、『易学講義』なる月刊誌もある、と言っている。
また、中国では二千年来揲蓍の法が失伝しているのに、日本では古法を用いて占筮しており、随所で筮具を購入出来る、ただし蓍は日本には産しない為、竹で代用していると書いている(以上抜粋意訳)。
実際に日本を歩いて見聞した訳ではないようなので、記述に正確を欠いているところもあるようだが、「惟蓍不産於日本、則以竹代之」とある辺りからも、筮竹というのが所詮は蓍策の代用品に過ぎない(それも日本だけの)ものだという認識であることが良く分かって面白い。
杭辛斎