『漢文法要説』を読む
- 2023/02/04
- 10:37
間違いが多々あると貶しておいて具体的な箇所を挙げないのは問題があるとの御声を頂いたので、『漢文法要説』中の気付いた箇所を列挙することにする。
まずは、『漢文語法の基礎』同様、無害(?)な日本語に於ける助詞の不備から挙げるが、p60の「要する漢字の意味には伸縮がある」は「要するに」、p97の例文3の訳文に於ける「貨幣を統一とようとするならば」は「貨幣を統一しようとするならば」、p102の例文22の訳文中の「もしものこのことに」は「もしもこのことに」が正しい。
次は出典の間違いである。
p23の例文4「積善之家、必有餘慶」の出典を「易坤不言」としているのが「易坤文言」の間違いであるのは、流石に易ブログの読者諸氏なら指摘を待たずとも判るに違いない。
また、p94の例文17「所惡執一者~」の出典は「尽心下」ではなく「尽心上」(※孟子)、p125の例文13「爲臣不忠~」の出典は「楚元王劉向伝」ではなく「楚元王劉交伝」(※漢書)、p144の例文5「鄒人與魯人~」の出典は「梁惠王下」ではなく「梁惠王上」(※ちなみにここは原文も間違えていて、「魯人」ではなく「楚人」の間違いである)、p150の例文7「盍不出從乎~」の出典は「管子問」ではなく「管子戒」といった具合。
原文の間違いだと、p30の例文1「與明友交」は、聡明な友と交わるのは誠に結構なこととは言え、言わずと知れた『論語』学而であるから「與朋友交」が正しい。
また、p56の例文18の「良嘗間從容步游下邳圮上」の「圮」は「圯」である。『易』では沢火革の卦辞が「己日」か「已日」かという議論があるが、それと同じで「圮」と「圯」とは非常に字形が似ているものの、ここは「下邳の橋の上」であるから、橋を意味する「圯」でなくてはならず、「圮」は「ヤブる」「ヤブれる」という意味の字だ。
p103の例文30中の「並段周之迹」は「並殷周之迹」で、二つの時代を並称する時の「殷周」であるから、これはちょっと酷い。
p140の例文3中の「有爾士」は「汝らの領土」であるから「士」ではなく「土」、p142の例文16中の「比一郡之君」は「比一都之君」、p145の例文3中の「爲仁由已」は「爲仁由己」といった具合である。
訓読に関して言えば、p90の例文4「世之所以賢君子者、爲其能行義、而不能行邪辟也」は、「不能」と「行邪辟也」の間にあるべきレ点が抜けているらしく、それだと君子を賢とする理由が邪僻=不正を行うからという事になってしまう。
p95の例文1の冒頭「子曰」は誰が見ても「しいわく」の筈であるが、送り仮名「ク」が「曰」ではなく「子」の後に付いてしまっている。
また、p125の例文11中の「度陰山」には、「度」に「ヲ」がついているが、この「度」は「渡る」意であるから「ラ」の間違い。
大体以上のような感じであるが、こうして見ると、字形のよく似たものの間違いばかりだから、これは活字を組む際の単純な誤謬であって、恐らく著者の間違いではなかろう。
その点では濱口本の方が校正が行き届いて居ないと言えそうだ。
ただし、p15の例文6「申儆之于勝之不可保」は訓点からすると「儆之に勝の保すべからざるを申(の)ぶ」とでも読もうとしているらしいのだが、「儆之」は人名の類ではないから、「之に勝の保す可からざるを申儆す」という風に読まないといけない文ではないかと思う。
以上、本書は此の分野の紛れもない良書であるが、新訂版と銘打っているにも拘らず、つまらぬ誤植がこれだけ見られる。
また、良書には違いないものの、読む順番としては『漢文語法の基礎』の後に取り組んだ方が良い内容だと感じた。
長らく入手困難で古書価が高騰していた同著者の『漢文の語法』が最近角川ソフィア文庫に入って漸く手軽なものになってくれたけれど、かなり頁数があるから、通読するにはそれなりの学力が必要となろう。
なので、自分なら『漢文法要説』を先に読むことをオススメしたい(その前に『漢文語法の基礎』)。
まずは、『漢文語法の基礎』同様、無害(?)な日本語に於ける助詞の不備から挙げるが、p60の「要する漢字の意味には伸縮がある」は「要するに」、p97の例文3の訳文に於ける「貨幣を統一とようとするならば」は「貨幣を統一しようとするならば」、p102の例文22の訳文中の「もしものこのことに」は「もしもこのことに」が正しい。
次は出典の間違いである。
p23の例文4「積善之家、必有餘慶」の出典を「易坤不言」としているのが「易坤文言」の間違いであるのは、流石に易ブログの読者諸氏なら指摘を待たずとも判るに違いない。
また、p94の例文17「所惡執一者~」の出典は「尽心下」ではなく「尽心上」(※孟子)、p125の例文13「爲臣不忠~」の出典は「楚元王劉向伝」ではなく「楚元王劉交伝」(※漢書)、p144の例文5「鄒人與魯人~」の出典は「梁惠王下」ではなく「梁惠王上」(※ちなみにここは原文も間違えていて、「魯人」ではなく「楚人」の間違いである)、p150の例文7「盍不出從乎~」の出典は「管子問」ではなく「管子戒」といった具合。
原文の間違いだと、p30の例文1「與明友交」は、聡明な友と交わるのは誠に結構なこととは言え、言わずと知れた『論語』学而であるから「與朋友交」が正しい。
また、p56の例文18の「良嘗間從容步游下邳圮上」の「圮」は「圯」である。『易』では沢火革の卦辞が「己日」か「已日」かという議論があるが、それと同じで「圮」と「圯」とは非常に字形が似ているものの、ここは「下邳の橋の上」であるから、橋を意味する「圯」でなくてはならず、「圮」は「ヤブる」「ヤブれる」という意味の字だ。
p103の例文30中の「並段周之迹」は「並殷周之迹」で、二つの時代を並称する時の「殷周」であるから、これはちょっと酷い。
p140の例文3中の「有爾士」は「汝らの領土」であるから「士」ではなく「土」、p142の例文16中の「比一郡之君」は「比一都之君」、p145の例文3中の「爲仁由已」は「爲仁由己」といった具合である。
訓読に関して言えば、p90の例文4「世之所以賢君子者、爲其能行義、而不能行邪辟也」は、「不能」と「行邪辟也」の間にあるべきレ点が抜けているらしく、それだと君子を賢とする理由が邪僻=不正を行うからという事になってしまう。
p95の例文1の冒頭「子曰」は誰が見ても「しいわく」の筈であるが、送り仮名「ク」が「曰」ではなく「子」の後に付いてしまっている。
また、p125の例文11中の「度陰山」には、「度」に「ヲ」がついているが、この「度」は「渡る」意であるから「ラ」の間違い。
大体以上のような感じであるが、こうして見ると、字形のよく似たものの間違いばかりだから、これは活字を組む際の単純な誤謬であって、恐らく著者の間違いではなかろう。
その点では濱口本の方が校正が行き届いて居ないと言えそうだ。
ただし、p15の例文6「申儆之于勝之不可保」は訓点からすると「儆之に勝の保すべからざるを申(の)ぶ」とでも読もうとしているらしいのだが、「儆之」は人名の類ではないから、「之に勝の保す可からざるを申儆す」という風に読まないといけない文ではないかと思う。
以上、本書は此の分野の紛れもない良書であるが、新訂版と銘打っているにも拘らず、つまらぬ誤植がこれだけ見られる。
また、良書には違いないものの、読む順番としては『漢文語法の基礎』の後に取り組んだ方が良い内容だと感じた。
長らく入手困難で古書価が高騰していた同著者の『漢文の語法』が最近角川ソフィア文庫に入って漸く手軽なものになってくれたけれど、かなり頁数があるから、通読するにはそれなりの学力が必要となろう。
なので、自分なら『漢文法要説』を先に読むことをオススメしたい(その前に『漢文語法の基礎』)。
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