貞疾・恒ありて死せず
- 2023/02/13
- 18:01
「貞」字の原義が卜問であることは今では明らかであると言って良いが、卦爻辞は『易』の著者が書き上げたものではなく、古い卜辞や御神籤の類を素材として配列したもの(内藤湖南や其の系譜に連なる学者の立場)とすれば、素材の原著者が想定していた意味と、『周易』として纏めあげた、いわば配列者の理解とは同一でなかった可能性もあるという風なことを考えていた時期がかつてあったが、『易学研究』昭和41年6月号巻頭の「続々『六十四卦雑感』の三十九」において、加藤大岳氏がほぼ同じ見解を表明されているのを最近知った。
…『貞』という文字が、卜問あるいは卜問する人を表したものであることは最早疑う余地は無いが、その占いを正しいとする考えから、貞に正しいという意味が生れ、正しければ是れを固く保持すべきであるとして、固いという転義の出たのも当然の推移で、敢えて貞だけに限らず、あらゆる文字の字義転遷の通例である。
そこで、周易の編著者が、転遷する字義のどれを取つて、それぞれの卦爻に組み入れたかということが重要な問題となるわけで、(それに対する諸家の見解が、汗牛充棟も啻ならずとされる注疏を生んだわけではあるが――)周易を繙けば先ず目に入る乾の「元亨利貞」や、坤の「利牝馬之貞」そして「安貞吉」など、夥しい貞の文字が、その原初的な意義に於て占うという意味で使用され、「占い吉なり」「牝馬の占いに利あり」「占いに安んずれば吉なり」ということを表現するためのものであるかどうかは甚だ疑わしい。
寧ろ「貞は正なり」とする貞正の意に用いたとして周易編著者の心を汲み取った方がよいのではあるまいかと思われるのであるが、果たしてどうであろうか。
もともと易が学として成立するのは、古い繇文を組み入れ、更に新しい作文を補い加えて、六十四卦三百八十四爻の卦爻辞を編んだ其のことにあるのではなく、この原典をタネにして、これに注がれた先賢の伝釈が人間思想の鬱然たる形容を盛りあげたためで、そこに時代と共に躍動しつつ持続される注疏学の生命があるわけなので、私たちは経文の原初的な真義をも踏まえたうえで、いくらでも新らしい解釈を加えて行つて構わないのかも知れない。
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