易の失は賊
- 2023/02/19
- 10:38
『礼記』の経解第二十六に、「詩の失は愚、書の失は誣、樂の失は奢、易の失は賊、禮の失は煩、春秋の失は亂なり」とあって、新釈漢文大系本の通釈は「詩経は人を愚(単なるお人よし)にし、書経は人を誣(ほら吹き)にし、楽経は人を奢(嬌慢)にし、易経は人を賊(反社会的)にし、礼経は人を煩(礼儀に口うるさいこと)にし、そして春秋経は人を乱(口才や文才にまかせて放縦)に流れしめるのである」と口語訳している。
新釈漢文大系本の解説は簡潔であるが、鄭注には「失とは其の教を節する能わざる者を謂う也。詩の敦厚は愚に近し。書の遠きを知るは誣に近し。易の精微は愛悪相攻め、遠近相取れば、則ち人を容るること能わず、傷害に近し。春秋は戦争の事に習いて乱に近し」とあり、どうも其の経書にのめり込み過ぎるとかかる患害を生ぜしめるということらしいのだが、指導を罷り間違うと講座受講生を反社勢力にしてしまう惧れがあるということのようだ。
しかも、単なるお人よしや礼儀に口うるさいという程度なら害悪と呼ぶ程でもあるまいが、反社勢力にしてしまうというのでは、易の持つ害は他の経書を圧倒していると見る他はない。
ただ、考えてみると、害が出るほどのめり込んでくれるなら、それはそれで今日稀有な存在であるのかもしれず、また、害が出るくらいでないと、その先には行けぬというような気がしないでもない。
例えば、鍼灸でも漢方でも或いは其の他の療術でも、それで何でも治せるというようなものは此の世に存在しないのだが、それくらいの自信過剰に陥ることが出来るくらいの地点を通過しないと本当にモノになったとは言えぬようだ。
種々の分野で耳にすることであるが、例えば私の師の一人は、さる手技療法の名人で、若い頃はそれでなんでも治せると心底信じていたし、実際面白いように成果が上がったという。
しかし、経験を積むと治らないものも沢山あることが判って来て、なんでも治せる等という考えは何時とはなしにどこかへ行ってしまったそうだが、これが一流への通過儀礼であるというのは、かかる境地には程遠い私のような凡庸なものにも何とはなしに分かる気がする。
経書が聖人へ至る道であるとするなら、詩の失は愚とか易の失は賊とかいったものも、一つの避けがたい関門であるのかもしれない。
ここまで書いて、辻雙明氏の手に成る「示寂された公田連太郎先生」という随想中の一節をフト思い出した。
タバコは、たまに両切を鋏で半分に切って喫んでおられた。
それについて、いつか次のように話された。
「南隠老師のもとへ通っていたころ、あるとき、“公田君と一しょだと飯がまずくなる”と言う人のあることを知り、それからタバコを喫むようにしました。」
こんな意味のことを言っておられた。
想像するに、二十歳代の公田先生は、ひたすらに正念工夫不断相続に努められ、傍らの人を顧みる余裕もなく、いつも竹箆口の仏頂面をしておられたのかも知れない。
そして、この某居士の言に省みて、和光同塵のための一方便としてタバコを喫むようにされたものらしい。
タバコの事だけでなく、いわゆる潜行密用で、先生は勇猛に精進されながらも、しかも、その光を和らげて塵中の人とも、こだわりなく交わるように努められた方のようである。
新釈漢文大系本の解説は簡潔であるが、鄭注には「失とは其の教を節する能わざる者を謂う也。詩の敦厚は愚に近し。書の遠きを知るは誣に近し。易の精微は愛悪相攻め、遠近相取れば、則ち人を容るること能わず、傷害に近し。春秋は戦争の事に習いて乱に近し」とあり、どうも其の経書にのめり込み過ぎるとかかる患害を生ぜしめるということらしいのだが、指導を罷り間違うと講座受講生を反社勢力にしてしまう惧れがあるということのようだ。
しかも、単なるお人よしや礼儀に口うるさいという程度なら害悪と呼ぶ程でもあるまいが、反社勢力にしてしまうというのでは、易の持つ害は他の経書を圧倒していると見る他はない。
ただ、考えてみると、害が出るほどのめり込んでくれるなら、それはそれで今日稀有な存在であるのかもしれず、また、害が出るくらいでないと、その先には行けぬというような気がしないでもない。
例えば、鍼灸でも漢方でも或いは其の他の療術でも、それで何でも治せるというようなものは此の世に存在しないのだが、それくらいの自信過剰に陥ることが出来るくらいの地点を通過しないと本当にモノになったとは言えぬようだ。
種々の分野で耳にすることであるが、例えば私の師の一人は、さる手技療法の名人で、若い頃はそれでなんでも治せると心底信じていたし、実際面白いように成果が上がったという。
しかし、経験を積むと治らないものも沢山あることが判って来て、なんでも治せる等という考えは何時とはなしにどこかへ行ってしまったそうだが、これが一流への通過儀礼であるというのは、かかる境地には程遠い私のような凡庸なものにも何とはなしに分かる気がする。
経書が聖人へ至る道であるとするなら、詩の失は愚とか易の失は賊とかいったものも、一つの避けがたい関門であるのかもしれない。
ここまで書いて、辻雙明氏の手に成る「示寂された公田連太郎先生」という随想中の一節をフト思い出した。
タバコは、たまに両切を鋏で半分に切って喫んでおられた。
それについて、いつか次のように話された。
「南隠老師のもとへ通っていたころ、あるとき、“公田君と一しょだと飯がまずくなる”と言う人のあることを知り、それからタバコを喫むようにしました。」
こんな意味のことを言っておられた。
想像するに、二十歳代の公田先生は、ひたすらに正念工夫不断相続に努められ、傍らの人を顧みる余裕もなく、いつも竹箆口の仏頂面をしておられたのかも知れない。
そして、この某居士の言に省みて、和光同塵のための一方便としてタバコを喫むようにされたものらしい。
タバコの事だけでなく、いわゆる潜行密用で、先生は勇猛に精進されながらも、しかも、その光を和らげて塵中の人とも、こだわりなく交わるように努められた方のようである。
スポンサーサイト