呑象と象山
- 2023/02/23
- 10:02
今更申し上げるまでもないけれど、まっとうな知識人の間では占いなど女子供の玩具といった程度にしか認識されておらず、『日本史をつくった101人』を読んでもそれがよく分かるというものだ。
本書は、日本史をつくった重要人物101人を語る座談会の内容を書籍化したもので、顔ぶれは、伊東光晴(京大名誉教授 / 1927~)・五味文彦(東大名誉教授 / 1946~)・丸谷才一(芥川賞作家 / 1925~2012)・森毅(京大名誉教授 / 1928~2010)・山崎正和(劇作家 / 1934~2020)という頗る豪華なものである。
日本史に出て来る有名人ではなく、日本史に“影響”を与えた人物を選んでいるのが第一の特色で、百済からの渡来人である王仁に始まり、張文成(660~740)やフビライ・ハン(1215~1294)など数名の外国人を挟みつつ、最後を田中角栄(1918~1993)で締めくくっているのだが、これだけ対談座談の名手が揃っているだけに呼吸の妙も素晴らしく、随所に光る鋭い洞察にも大いに関心させられるところがある。
ただ、79人目に高島象山が入っているのが奇妙奇天烈。
日本史をつくった101人に高島を入れようと言い出したのは伊東光晴だが、どうもこの人たちは高島呑象と高島象山(正確には象山は高島ではなく高嶋である)をごっちゃにしている。
目次の16頁にある「本姓は牧だが高島易の元祖高島嘉右衛門呑象の後継者を自称し、高島姓を名乗る」は正しいが、恐らくは編集者辺りが附した部分で、座談の当事者たちは完全に呑象と象山を誤認していたらしきフシがあり、そもそも扱われている章からしておかしい。
なにせ、第三章の「明治維新の大物たち」で扱っているのだ。
明治元年は西暦1868、象山の生年は1886年だから、どう考えても明治維新の大物たちに入る筈がないし、ニセ高島界の大御所である事から言えば、確かに“大物”には違いないが、他に挙げられている西郷隆盛(52)、大久保利通(53)、山県有朋(54)、伊藤博文(55)、福沢諭吉(56)、岩崎弥太郎(59)、渋沢栄一(60)、松方正義(62)なんかと比べれば如何にも小物という他ない。
101人の中で一人象山だけが浮いてしまっているのである。
誰も呑象と象山がごっちゃになっている事に気づかずに、そのまま本になってしまったというのだから、知識人の間では高島嘉右衛門と雖もその程度の扱いであるという事がよく分かるだろう。
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