横浜ガス灯関連史跡を歩く①
- 2023/03/01
- 18:44
2021年秋、コロナ流行の間隙を縫うように、何年振りかで横浜の嘉右衛門関連史跡を散策した。
ただし、高島台の方ではなく、趣向を変えて実業家としての嘉右衛門の足跡を辿るべく、ガス灯関連の史跡に絞っての調査である(調査とは言っても、既に多くの方がweb上に情報をあげておられるから、実際にはそれをなぞっただけの観光でしかないのだが)。
日本ガス事業発祥の地碑は嘉右衛門が率いた日本ガス社中の跡地である本町小学校の正門前に、昭和59年に建てられたもの。
明治三年、高島嘉右衛門によって中区花咲町のこの地(当時の伊勢山下石炭蔵前)にガス会社が設立された。
高島はフランス人技師アンリ・プレグランを招いて、明治五年九月二十九日(太陽暦十月三十一日)、神奈川県庁付近および大江橋から馬車道・本町通りまでの間にガス街灯十数基を点灯した。
これがわが国ガス事業の発祥である。
明治二十五年四月、横浜市瓦斯局となり、昭和十九年十一月東京ガス株式会社となった。
昭和五十九年十一月一日
かつては誰でも碑の傍まで近寄ることが出来たらしいが、現在は防犯の観点から大仰な門扉が設置されており、庵主の探訪時は早朝だったため開門時間より遥かに早く、望遠で撮影する以外に方法がなかったのは残念無念。
馬車道に面した関内ホールの正面入口横に、二本のガス灯で挟むようにして「日本で最初のガス灯」碑が設置されている。
安政6年(1859年)に開港場となって以来、横浜は西洋文化の玄関口となりました。馬車道を起点にして全国に拡がったものも数多くあります。
ガス灯は、明治5年(1872年)に、高島嘉右衛門の「日本ガス社中」により、馬車道・本町通り等に設置、点灯され、これが日本における最初のガス灯となりました。柱部は英国グラスゴー市から輸入し、灯具は日本人職人により製造されたと言われます。
このたび、横浜市市民文化会館〔関内ホール〕新築完成を祝って、当時の型をモデルとしたガス灯を復元設置しました。
壁面レリーフは、横浜開港資料館所蔵の絵葉書を転写したもので、明治末期の馬車道です。
ただし、高島台の方ではなく、趣向を変えて実業家としての嘉右衛門の足跡を辿るべく、ガス灯関連の史跡に絞っての調査である(調査とは言っても、既に多くの方がweb上に情報をあげておられるから、実際にはそれをなぞっただけの観光でしかないのだが)。
日本ガス事業発祥の地碑(横浜市中区花咲町3-86)
日本ガス事業発祥の地碑は嘉右衛門が率いた日本ガス社中の跡地である本町小学校の正門前に、昭和59年に建てられたもの。
↓↓↓以下碑文↓↓↓
明治三年、高島嘉右衛門によって中区花咲町のこの地(当時の伊勢山下石炭蔵前)にガス会社が設立された。
高島はフランス人技師アンリ・プレグランを招いて、明治五年九月二十九日(太陽暦十月三十一日)、神奈川県庁付近および大江橋から馬車道・本町通りまでの間にガス街灯十数基を点灯した。
これがわが国ガス事業の発祥である。
明治二十五年四月、横浜市瓦斯局となり、昭和十九年十一月東京ガス株式会社となった。
昭和五十九年十一月一日
寄贈 東京ガス株式会社
かつては誰でも碑の傍まで近寄ることが出来たらしいが、現在は防犯の観点から大仰な門扉が設置されており、庵主の探訪時は早朝だったため開門時間より遥かに早く、望遠で撮影する以外に方法がなかったのは残念無念。
日本で最初のガス灯碑(横浜市中区相生町4-76)
馬車道に面した関内ホールの正面入口横に、二本のガス灯で挟むようにして「日本で最初のガス灯」碑が設置されている。
壁面のレリーフは一見銅板のようにも見えるが素材不明。
↓↓↓以下碑文↓↓↓
安政6年(1859年)に開港場となって以来、横浜は西洋文化の玄関口となりました。馬車道を起点にして全国に拡がったものも数多くあります。
ガス灯は、明治5年(1872年)に、高島嘉右衛門の「日本ガス社中」により、馬車道・本町通り等に設置、点灯され、これが日本における最初のガス灯となりました。柱部は英国グラスゴー市から輸入し、灯具は日本人職人により製造されたと言われます。
このたび、横浜市市民文化会館〔関内ホール〕新築完成を祝って、当時の型をモデルとしたガス灯を復元設置しました。
壁面レリーフは、横浜開港資料館所蔵の絵葉書を転写したもので、明治末期の馬車道です。
昭和61年9月27日
馬車道商店街協同組合
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