主爻ノ意ニシテ
- 2023/03/05
- 10:54
昨年は講座の参考として『高島易断』を再読する機会を持ったが、必要に迫られないと中々通読し難い分厚さの書物を嫌々とはいえ読破するのは矢張り最後は自身の為にはなるという当たり前の事実を痛感させられる。
再読によって感心させられたことは多々あるけれど、具体的に言えば、増補版『高島易断』の地雷復上六に附された占例等も其の一つ。
もっとも感心したのは占例そのものというより、卦爻辞の捉え方と言うべきで、この占例は板垣退助が授爵を頑なに固辞して世間の耳目を集めた一件に関するものだが、地雷復上爻を得た占例に続いて類似の占題で沢水困二爻を得たものが載せられており、其の中で呑象は困卦の各陽爻と意を同じくする他卦の爻を次々に挙げて縦横に論じている。
困ノ卦タルヤ、九五ノ君位ハ、水地比ノ主爻ノ意ニシテ、上下ノ間、地上ニ水アルガ如ク、間然ナキノ親ミヲ以テ、国家ヲ治メ給フノ意ヲ含蓄セリ、
九四ノ陽ハ、宰相ノ位置、雷地豫ノ主爻ノ意ニシテ、國家ノ大任ニ當リ、功アルトキハ、之ヲ九五ノ君徳ニ歸シ、功無キトキハ咎ヲ身ニ受ルノ位タル故ニ、自ラ職權ヲ有スルノ意ヲ含蓄セリ、
九二ノ陽ハ、地水師ノ主爻ノ意ニシテ、在師中王三錫命ノ意ヲ含蓄セリ、
全卦ノ三剛、其意趣此ノ如シト雖モ、之ヲ合スルトキハ、澤水困ノ卦ト爲ル、蓋シ此卦、上卦ノ四五ハ陽ト雖モ、三ト上トノ陰ニ蔽ハレ、二ノ陽モ亦初ト三トノ陰ニ蔽ハレ、志ヲ通ズルコト能ハズシテ、困ムノ時ナレバナリ、
水地比五爻と雷地豫四爻と地水師二爻が合わさると沢水困の卦になるというのは、常人の及ばざるところの観卦法と曰うしかないけれど、或る卦の或る爻と気分を同じくする爻が別の卦に見出せるかどうかというのは、経文読解の一種の試金石として働くのではないかという気がする。
勿論、易は六十四卦三百八十四の爻を以て宇宙の森羅万象を説き尽くす事を建前としているから、全く同じ気分の爻が在っては困る訳だが、似たニュアンスの爻は当然在り得べきであるし、また似ているという以上は異なる点がそこに存在しなければならないのが道理で、全く同じであれば「似ている」ことにはならない訳だ。
例えば、乾為天初九と地雷復初九は或る意味では似ているし、異なってもいる。
水風井初九をここに加えて対比させてみるということも出来よう。
これも「君子居れば則ち其の象を観、其の辞を玩ぶ」の一つであると思われる。
再読によって感心させられたことは多々あるけれど、具体的に言えば、増補版『高島易断』の地雷復上六に附された占例等も其の一つ。
もっとも感心したのは占例そのものというより、卦爻辞の捉え方と言うべきで、この占例は板垣退助が授爵を頑なに固辞して世間の耳目を集めた一件に関するものだが、地雷復上爻を得た占例に続いて類似の占題で沢水困二爻を得たものが載せられており、其の中で呑象は困卦の各陽爻と意を同じくする他卦の爻を次々に挙げて縦横に論じている。
困ノ卦タルヤ、九五ノ君位ハ、水地比ノ主爻ノ意ニシテ、上下ノ間、地上ニ水アルガ如ク、間然ナキノ親ミヲ以テ、国家ヲ治メ給フノ意ヲ含蓄セリ、
九四ノ陽ハ、宰相ノ位置、雷地豫ノ主爻ノ意ニシテ、國家ノ大任ニ當リ、功アルトキハ、之ヲ九五ノ君徳ニ歸シ、功無キトキハ咎ヲ身ニ受ルノ位タル故ニ、自ラ職權ヲ有スルノ意ヲ含蓄セリ、
九二ノ陽ハ、地水師ノ主爻ノ意ニシテ、在師中王三錫命ノ意ヲ含蓄セリ、
全卦ノ三剛、其意趣此ノ如シト雖モ、之ヲ合スルトキハ、澤水困ノ卦ト爲ル、蓋シ此卦、上卦ノ四五ハ陽ト雖モ、三ト上トノ陰ニ蔽ハレ、二ノ陽モ亦初ト三トノ陰ニ蔽ハレ、志ヲ通ズルコト能ハズシテ、困ムノ時ナレバナリ、
水地比五爻と雷地豫四爻と地水師二爻が合わさると沢水困の卦になるというのは、常人の及ばざるところの観卦法と曰うしかないけれど、或る卦の或る爻と気分を同じくする爻が別の卦に見出せるかどうかというのは、経文読解の一種の試金石として働くのではないかという気がする。
勿論、易は六十四卦三百八十四の爻を以て宇宙の森羅万象を説き尽くす事を建前としているから、全く同じ気分の爻が在っては困る訳だが、似たニュアンスの爻は当然在り得べきであるし、また似ているという以上は異なる点がそこに存在しなければならないのが道理で、全く同じであれば「似ている」ことにはならない訳だ。
例えば、乾為天初九と地雷復初九は或る意味では似ているし、異なってもいる。
水風井初九をここに加えて対比させてみるということも出来よう。
これも「君子居れば則ち其の象を観、其の辞を玩ぶ」の一つであると思われる。
スポンサーサイト