旧大和水銀鉱山へ
- 2023/04/21
- 18:12
アルバムを見ると2010年11月6日となっていて、もうすぐ13年の歳月が流れようとしている訳だが、金剛山の旧千早鉱山附近の谷あいを散策し、初めて辰砂を手にした時の歓びは今も忘れがたい。
余りの超貧鉱につき、程なくして奈良の多武峰鉱山へとフィールドを移したが、ここは千早とは打って変わって面白いように拾うことが出来た為、幾度となく通って、もうイヤという程の標本を集めることが出来た。
もっとも、大半は横着して表面保護を怠った為に、不思議と程度の良い標本ほど風化して粉々になってしまい、昨秋慌ててパラロイド塗布を試みて何とか食い止めることが出来たが、今更ながらに後悔している。
この数年は辰砂熱も冷めてしまって産地から足が遠のいていたのだけれど、一昨年生薬探偵見習に水銀道の極意を伝授する為、久しぶりに行ってみたところ、産地のコンディションがかなり悪くなっていて、満足の行く標本どころか、小さなものを数点拾っただけで下山するしかなかった。
採り尽くされたという訳でもなかろうが、大きな水害でも起こらない限り、もう以前のような採集は難しくなってしまった印象である。
そんな訳で、もう辰砂も採り納めだなという気がしているが、先日番外編として、かつて西日本最大の水銀鉱山であった宇陀の大和水銀鉱山跡を見物に行って来た。
もっとも、実際には伊勢からの帰り、カーナビの画面を見ていて近くを通り掛かっていることに気が付き、フト行ってみる気になったのである。
こういう時、web上に情報が上がっている場合は事前準備がなくともスマホの御蔭で何とかなるのは有難い。
スマホ亡国論は未だひっこめるつもりは毛頭ないけれど、便利なものは便利である。
要はなんとかと鋏は使いようの類だ。
携帯会社側の事情で半ば強制的にスマホに替えさせられたのであって(ようやくスマホ生活も此の3月で一年が過ぎ、初心者マークを外したが、未だ電話以外の機能は殆ど使っていない、否使えない)、望んでそうした訳ではないけれど、今度ばかりはスマホを持っていて良かったと思ったことは正直に白状しておく。
我が国で採取に水銀の採取が行われたのは伊勢の国で、東大寺の初代大仏は伊勢産の水銀を用いて鍍金されたことが記録されているが、伊勢に続いて奈良は宇陀地方の水銀鉱脈が発見されると、宇陀が水銀生産の中心地として躍り出ることになる。
日本の水銀生産はかつては中国に輸出するほどの勢いであったが、鎌倉室町と時代が下るにつれて減少し、江戸時代には一旦途絶えたものの、明治中期以降、近代化と共に再び採掘されるようになり、昭和の最盛期には北海道のイトムカ鉱山に次ぐ生産量を誇って西日本最大の鉱山であったのが、兎田野大澤の大和水銀鉱山なのであった。
鉱山と聞けば誰もが山を思い浮かべるだろうが、大和水銀鉱山は拍子抜けするくらいに平坦な場所で、鉱山臭さは微塵もない。
ここだと教えられても大抵の人は実感が湧かないのが普通だろう。
辰砂に興味を持ちだした当時、父の仕事仲間で宇陀の隣の榛原に住むM氏に水銀鉱山が附近にあったことを知っているかと尋ねたら、知っているも何も自分のオヤジは元鉱山技師だったのだと教えられた。
そのM氏も恐らくは既に亡い。
何かにつけ、もっと詳しく色々聞いておけば良かった、と悔やまれることが最近やけに多くなったような気がする。
余りの超貧鉱につき、程なくして奈良の多武峰鉱山へとフィールドを移したが、ここは千早とは打って変わって面白いように拾うことが出来た為、幾度となく通って、もうイヤという程の標本を集めることが出来た。
もっとも、大半は横着して表面保護を怠った為に、不思議と程度の良い標本ほど風化して粉々になってしまい、昨秋慌ててパラロイド塗布を試みて何とか食い止めることが出来たが、今更ながらに後悔している。
この数年は辰砂熱も冷めてしまって産地から足が遠のいていたのだけれど、一昨年生薬探偵見習に水銀道の極意を伝授する為、久しぶりに行ってみたところ、産地のコンディションがかなり悪くなっていて、満足の行く標本どころか、小さなものを数点拾っただけで下山するしかなかった。
採り尽くされたという訳でもなかろうが、大きな水害でも起こらない限り、もう以前のような採集は難しくなってしまった印象である。
そんな訳で、もう辰砂も採り納めだなという気がしているが、先日番外編として、かつて西日本最大の水銀鉱山であった宇陀の大和水銀鉱山跡を見物に行って来た。
もっとも、実際には伊勢からの帰り、カーナビの画面を見ていて近くを通り掛かっていることに気が付き、フト行ってみる気になったのである。
こういう時、web上に情報が上がっている場合は事前準備がなくともスマホの御蔭で何とかなるのは有難い。
スマホ亡国論は未だひっこめるつもりは毛頭ないけれど、便利なものは便利である。
要はなんとかと鋏は使いようの類だ。
携帯会社側の事情で半ば強制的にスマホに替えさせられたのであって(ようやくスマホ生活も此の3月で一年が過ぎ、初心者マークを外したが、未だ電話以外の機能は殆ど使っていない、否使えない)、望んでそうした訳ではないけれど、今度ばかりはスマホを持っていて良かったと思ったことは正直に白状しておく。
我が国で採取に水銀の採取が行われたのは伊勢の国で、東大寺の初代大仏は伊勢産の水銀を用いて鍍金されたことが記録されているが、伊勢に続いて奈良は宇陀地方の水銀鉱脈が発見されると、宇陀が水銀生産の中心地として躍り出ることになる。
日本の水銀生産はかつては中国に輸出するほどの勢いであったが、鎌倉室町と時代が下るにつれて減少し、江戸時代には一旦途絶えたものの、明治中期以降、近代化と共に再び採掘されるようになり、昭和の最盛期には北海道のイトムカ鉱山に次ぐ生産量を誇って西日本最大の鉱山であったのが、兎田野大澤の大和水銀鉱山なのであった。
鉱山と聞けば誰もが山を思い浮かべるだろうが、大和水銀鉱山は拍子抜けするくらいに平坦な場所で、鉱山臭さは微塵もない。
ここだと教えられても大抵の人は実感が湧かないのが普通だろう。
辰砂に興味を持ちだした当時、父の仕事仲間で宇陀の隣の榛原に住むM氏に水銀鉱山が附近にあったことを知っているかと尋ねたら、知っているも何も自分のオヤジは元鉱山技師だったのだと教えられた。
そのM氏も恐らくは既に亡い。
何かにつけ、もっと詳しく色々聞いておけば良かった、と悔やまれることが最近やけに多くなったような気がする。
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