桃山志野 現代に焼く
- 2023/06/21
- 18:11
先月中旬のこと、一年ぶりに新居浜は萩生にある与州窯に桃山陶作家 藤田登太郎先生を訪ねた。
コロナ前は多い年だと年に4~5回は御邪魔していたこともあるが、最近は無沙汰を重ねてしまっている。
瀬戸黒や黄瀬戸のような典型的な美濃陶から井戸や伊羅保の如き所謂高麗茶碗、また萩や唐津に至るまで、先生のレパートリーは実に広いが、生涯をかけて取り組まれたのは桃山志野で、今も冬場には二週間近い不眠不休の窯焚きを行っておられる。
来月米寿を迎えられることを思えば驚異と言う他はない。
先日新たに立てられた看板にもあるように、ただの“志野”ではなく“桃山志野”としてあるのには理由があって、現代作家が焼く志野が長石釉をかけて焼成するのに対し、先生の志野は桃山時代の志野に用いられたもぐさ土(可児市近郊の狭い範囲でのみ産した陶土で現在は絶産)に南木曾の千倉石の川砂を釉に用いて、桃山時代の志野と同じように作られている為だ。
と言っても、ただの再現にとどまらず、桃山志野より更に長時間の焼成を行うことで、桃山期のそれを越えるような作品が数多く生み出されているのである。
日本人の手に成る茶碗で国宝に指定されているものは僅かに二点しかなく、一つは本阿弥光悦(1558~1637)の不二山と名付けられた白楽茶碗、もう一つが現在三井記念美術館が所蔵している桃山志野茶碗卯花墻である。
2017年、京都の国立博物館が開館120周年を記念して催した国宝展で現物を拝観する機会を持ったが、正直なところ与州窯の現代桃山志野と比べると、さしたる感銘を受けることはなかった(余談だが、この時卯花墻の真横には宗達の風神雷神が展示されていて、小さな茶碗に観入っているのは庵主ただ一人であった。押し合いへし合いせずに観られたのは思わぬ幸運だが、卯花墻と言えど、阿保でも知ってる風神雷神相手では流石に抗しがたいことを見せつけられる思いであった)。
大抵の場合、いかに出来が良くとも現代の作品は所詮本歌には及ぶべくもないものだが、藤田志野に関しては例外中の例外であるようだ。
これは実際に博物館で桃山時代の志野を何度も観察して比較した上での感想である(勿論、感性は人それぞれだから、どう感じるかに個人差はあろう)。
桃山志野と言えば、つい最近心中事件を起こして世間を騒がせた某歌舞伎役者が三年前になんでも鑑定団に持参した茶碗の評価額は6000万円で、2020年に限ればアンディ・ウォーホル(8000万円)に次ぐものであったが、あれはかなり出来が悪くて(ただし本物であることはすぐに見て取れたけれど)、藤田先生もあれが自分の窯から出て来たら迷わず割るとのことであった。
これから経済苦に陥ることが予想される歌舞伎役者氏は、恐らく件の志野茶碗を手放すことになるのではないかと思うのだが、一体だれがあの不出来な茶碗に何千万円も出すのだろうか。
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