小西国雄先生のこと
- 2023/07/04
- 18:42
身障者の易者と言えば、岳門に“寝釈迦”こと野口靖允という有名な人が居たけれど、内山鉄杖(1872~1915)と同じ愛媛の産で、時折『易学研究』誌に寄稿されていた小西国雄という人も忘れがたい印象を残して居る。
同誌昭和43年7月号に載った加藤大岳氏の随想から転載させて頂く。
~前略~
六月号で「四万十川」を書いておられる小西国雄さんのことなども其の一つです。小児麻痺で半身が自由になりません。それで易占を以て業とし、易によつて安心立命を行じておられます。
書いておられる様に愛媛から高知へと流卜し、現在の高知に落着かれています。その間に有名な女易者に見てもらい、五年後に結婚するという。実際にその様な結果になりました。
立入つた話ではありますが、小西さんは其れを体裁振つて匿くそうとなどされていないのだと思い申上げますが、奥さんは廓にお勤めだつた方です。今でこそ女子の職場がありますが、父と母に相次いて亡くなられた少女に、当時では働く場所としては他にありません。小西さんは自分はこんな身体だからとて、年期の明けるのを待つて一緒になられました。その人が小西さんの杖となつて今日まで助けて来られたとのことで大変に幸せである。
子供がいないが、これもみなしごの幼女を養子にされました。「年頃なれど我が娘は流卜の父を見付けて近寄り物言う」三月号に載つている歌の一首ですが、これを読んで私は涙ぐみました。その娘さんです。
自分は家は継いで呉れずとも、自分の易は此の娘が継いで呉れるであろうとも書かれており、易をよくする様子です。婿を迎えることを避けて既に他に嫁がせ、養女夫婦も大変親切だと言う。
生活は豊かということではないし此の様な境遇にあり乍ら、悩むことなく、天命に順つているというのは本当に易が役立つていると思います。自分の事に、易占を立てるかどうかは知りませんが、易の真実を自分の事に役立ているのです。順易の道であります。
昭和52年の記事にて80歳近いと書かれていることからすれば既に物故されている筈であるが、菩提寺も判っているので、今度掃苔してみようかと思ってもいる。
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