禹餘粮石と山陽新聞
- 2023/07/24
- 18:01
佐川町散策の翌日、倉敷の寿元堂薬局に漢方家の北山進三先生をお訪ねした。
以前は西日本遠征の行き帰りには殆ど必ずと言って良いほど立ち寄らせて頂き、ままかりを御馳走してもらうのを常としていた蒼流庵主であるが、コロナ以降は其の頻度も激減してしまい、もう一年以上もお会いしていなかったように思う。
御邪魔して早々、先生から禹餘粮について知っているかと尋ねられたのだが、知っているもなにも禹餘粮は庵主がデビュー作「白幽子と麦飯石」に次いで執筆したネタであって、採集に繰り出した回数も恐らく十回ではきかない。
詳しく伺ってみると、近くの両児神社に戦前に奉納された禹餘粮があるらしく、それが山陽新聞の知るところとなり、記者の取材を受けた直後なのだという。
記者氏は寿元堂に辿り着くまで何人もの漢方の専門家を尋ねて回ったそうだが、孰れも書物で読んで名前だけ知っているという程度の人ばかりで、最後に辿り着いたのが寿元堂であったそうだ。
なるほど、確かに禹餘粮を自力採取(もっとも今のところ満足の行く完品は自採出来てはいないが)した人間が業界に“生薬探偵”たる庵主の他に居る筈もないし、何も参照せずに禹餘粮について喋らせるなら余人の及ぶ所ではなかろうという自負はないでもない。
そこで、帰阪後に手元にある資料一切を山陽新聞社に御送りする約束をし、程なくして記事が掲載されることとなった。
今回の四国行が少しでも遅かったら、庵主は全くタッチすることもなかっただろうから、何か見えざる手が働いたもののように思われる。
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