対卦雑感
- 2023/08/19
- 10:33
『周易』の卦序については、昔からコジツケが過ぎるとして評判の宜しくない「序卦伝」という一応の解説めいたものがあるが、漢初の馬王堆帛書本に見える卦序は邵康節の先天図の配列に似通ったところがあり(全く同一という訳ではない)、古くは色々な配列の仕方があったものの、今本の卦序だけが残ったのだとする見方が支配的になって来ているらしい。
例えば、用いたテキストが今本と異なった卦序のものであった為に「雑卦伝」はあのような配列になっているのではないかと、山田慶児氏は疑っている。
此の問題については、比較可能な史料が未だ少ない為に安易に結論を出すことは避けなければならないが、卦名や爻辞の繋け方を見る限り、作易者が綜卦(賓卦)の関係を意識していたところがあるらしいということは確かなようだ。
損益の二卦は其の典型と言え、損六五の「或益之,十朋之亀」云々に酷似した辞が、ひっくり反した益卦では六二に見えている。
また、夬九四の「臀无膚,其行次且」は、綜卦である姤九三に同様に現れていて、酷似とまでは言えないものの、既済九三と未済九四の関係もここに含めて良いかもしれない。
そんな風であるから、明の来知徳の如く、観卦に錯綜を重視する易学家の現れるのも当然なのであるが、しかし、序卦伝の配列を見る限り、対になる卦の組み合わせは卦意からすると然して適切とは言えないものが多いようだ。
升の対なら降の意を持つ卦が欲しいところだし、蒙の対なら明るい卦こそ相応しいように思う。
また、晋には退く意の遯の方が相応しいし、或いは蹇の相棒に進の卦を持って来るのも悪くない。
同様に、萃にこそ渙の如き散る卦を伴侶としてやりたくなるし、困には喜ぶ卦、豊には貧しい意の卦を持って来たいような気がする。
節なら放逸の卦、さしずめ雷地豫辺りが良いだろうか。
最も上記は夫々の卦の原義が従来通りのものであるということを前提にしないと成り立たないことは言うまでもなかろう。
読者諸賢におかれましては、単なる庵主の頭の体操とでも受け取って読み飛ばしてもらえれば幸い。
例えば、用いたテキストが今本と異なった卦序のものであった為に「雑卦伝」はあのような配列になっているのではないかと、山田慶児氏は疑っている。
此の問題については、比較可能な史料が未だ少ない為に安易に結論を出すことは避けなければならないが、卦名や爻辞の繋け方を見る限り、作易者が綜卦(賓卦)の関係を意識していたところがあるらしいということは確かなようだ。
損益の二卦は其の典型と言え、損六五の「或益之,十朋之亀」云々に酷似した辞が、ひっくり反した益卦では六二に見えている。
また、夬九四の「臀无膚,其行次且」は、綜卦である姤九三に同様に現れていて、酷似とまでは言えないものの、既済九三と未済九四の関係もここに含めて良いかもしれない。
そんな風であるから、明の来知徳の如く、観卦に錯綜を重視する易学家の現れるのも当然なのであるが、しかし、序卦伝の配列を見る限り、対になる卦の組み合わせは卦意からすると然して適切とは言えないものが多いようだ。
升の対なら降の意を持つ卦が欲しいところだし、蒙の対なら明るい卦こそ相応しいように思う。
また、晋には退く意の遯の方が相応しいし、或いは蹇の相棒に進の卦を持って来るのも悪くない。
同様に、萃にこそ渙の如き散る卦を伴侶としてやりたくなるし、困には喜ぶ卦、豊には貧しい意の卦を持って来たいような気がする。
節なら放逸の卦、さしずめ雷地豫辺りが良いだろうか。
最も上記は夫々の卦の原義が従来通りのものであるということを前提にしないと成り立たないことは言うまでもなかろう。
読者諸賢におかれましては、単なる庵主の頭の体操とでも受け取って読み飛ばしてもらえれば幸い。
スポンサーサイト