『巫・占の異相』 吉村美香編
- 2023/08/25
- 18:26
『巫・占の異相』 吉村美香編(志学社/2023年刊)
昨日、奈良場勝先生より志学社から出た新刊『巫・占の異相—東アジアにおける巫・占術の多角的研究—』を御恵送頂いた。
国際日本文化研究センターの2020年度の共同研究「巫俗と占術の現在ー東アジア世界の民間信仰の伝播と展開」の成果を元に編まれた一書で、先生は第3章「占術・相術・信仰の受容と展開」の中に「大雑書の易をめぐる書林の動き」を寄稿されている。
副題の「東アジア世界の民間信仰の伝播と展開」を見れば分かるように、内容は広範囲に亙っていて、私の関心の対象そのものズバリの易学分野についてはそれほど多く触れられている訳ではないが、反って普段接することのない知識に多く触れることが出来て、収穫も多い。
我が国の中世の都市構造に気脈や地勢を重視する風水思想が如何なる影響を及ぼしたか、また庵主は一度も足を踏み入れたことがない為に漠然と占い師が沢山居て商売しているらしいという程度の認識しか持ち合わせていなかった横浜中華街の占い店舗が意外に浅い歴史しかなく、誕生から如何なる変遷を経て来たかということも本書によって教えられたことの一つである。
一番の収穫は、以前研究室にも御邪魔したことのある大形徹先生の「巫・靈・毉・筮」で、これまでメイドインジャパンの占具と考えて来た筮竹が、必ずしも中国に無かった訳ではなく、黄宗羲編『明文海』巻123に「筮竹贊」があって「……筮せんことを欲して蓍無くんば、謂う竹を以て之れに代えんと」と見えており、蓍の代用として竹を使うことを「筮竹」と述べているということを知った。
もっとも竹が蓍の代用であることは江戸時代の筮竹起源も同じであるし、何等驚くには当たらない。
これが生薬の類なら、似通った薬能を持たないと代用たり得ない訳だが、易の占具としてはひょろ長い棒で同じ所作が出来さえすれば畢竟何を使ったところで構わないのであり、勿論それが竹であっても何等支障はなく、素材の如何に然したる意味はない訳だ。
また、草本である蓍の代用として竹を用いるというのは恐らく発想的にも違和感があったと見えて、黄宗羲より百年ほど前の人である本草家の李時珍は「卦を数えるに蓍のないときは荊、蒿を代用してもよいのである」(『国訳本草綱目』)と言って竹には触れないし、清末民初の杭辛斎も、蓍は日本に産しない為、竹で代用している、と書いている辺り、代用品としても然してメジャーな素材でなかったことが判るのである。
それにしても、かかる優れた論考をものする人が居て、またそれが載った啓発的な書物を送って下さる人が居る。
実に有難いことと言う他はない。
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