吉村周山
- 2023/09/07
- 18:42
大阪象牙美術工芸協同組合発行が発行した『橒~関西象牙業界のあゆみ』(1988)は、我が国に於ける象牙製品の起源について「江戸時代、享保年間(1716~1735)に大坂の彫り氏、吉村周山が中国製の象牙細工を見てこれを模倣したのが始まりと言われ、主に根付の象牙彫が行われていた」と記すが、庵主は其の昔、根付の蒐集を行っていた時代があって(したがって象牙については一般より幾らか詳細な知識を持ち合わせている)、吉村周山の掃苔を行ったこともあった。
もっとも、周山の根付と言えば、木彫に彩色を施した独特な作風が印象的で、文化遺産オンラインで幾つか観ることも出来るが、庵主はまだ象牙を用いた作品を目にしたことがない。
墓碑は下寺町にある光明寺の無縁墓域に比較的良好な状態を保って鎮座しているが、木村敬二郎大阪訪碑録の附記に「浪速に関する諸種の墓所記に墓碑の所在地を明かに記載しあるものにして、しかも予が捜訪に際し見当らざりしもの少なからず、今それを列挙すれば左の如し」とした中に周山のそれも含まれており、どうやら一時行方不明になっていて再発見されたものらしい。
現在は目立つ場所にあるので、何びとか周山の価値を知る人の手で、無縁墓域の前面に配されたものではないかという気がする。
もっとも、周山の根付と言えば、木彫に彩色を施した独特な作風が印象的で、文化遺産オンラインで幾つか観ることも出来るが、庵主はまだ象牙を用いた作品を目にしたことがない。
墓碑は下寺町にある光明寺の無縁墓域に比較的良好な状態を保って鎮座しているが、木村敬二郎大阪訪碑録の附記に「浪速に関する諸種の墓所記に墓碑の所在地を明かに記載しあるものにして、しかも予が捜訪に際し見当らざりしもの少なからず、今それを列挙すれば左の如し」とした中に周山のそれも含まれており、どうやら一時行方不明になっていて再発見されたものらしい。
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