筑波山の蓍
- 2023/09/28
- 18:48
『日月卦伝鈔』に「我朝ニモ一根五十茎ノ蓍ハアリ。蓍ハ常州築バ山ノモノヲ第一トス」とあって、古くから筑波山で採れる蓍が上質のものとされていることは知っていたが、実地に調査する機会を中々持てずにいたところ、昨夏植物調査で関東入りした際、偶然にも筑波山の傍を通りがかっていることに気が付いた。
この時は車で回れる範囲を散策したのみで、ケーブルカーで山頂まで上がってみるということはしなかったのだが、山の中はかなり暗くて、ノコギリソウにせよメドハギにせよ、一本も見つけることが出来なかった。
昔は有名だった筑波の当帰等もとっくの昔に絶産になっていて、江戸時代の記述を頼りに探すということの困難は承知していたが、或いは環境が相当変わっているのかもしれない。
ところが、今年に入って奈良場博士より、『筑波山名跡誌』を手掛かりに当時の蓍産地を突き止めた人の居ることを教えられた。
記事によると、当時、亀之岳(かめがおか)と呼ばれた場所がそうらしい。
丹波亀山にしてもそうだが、「亀」絡みの地名が上質の蓍を産する場所とされた所以で、実に他愛のない話と言う他ないようだ。
7月7日の夜、刈ったメドギを晒したという夫女石は現存するとのことだが、肝心の亀之岳は現在つくばねカントリークラブというゴルフ場になってしまっていて、どうやらかつての蓍産地は消滅してしまったもののようである。
屋代弘賢(1758~1841)の『古今要覧稿』には「今も筑波山にては此莖を採て筮となし別に易書を添て旅人の乞へるものあればあたふるよし蓋し古の遺法なるべし」とあって、同書は幕命により文政四年(1821)に編纂が開始された書物であるから、筮竹が爆発的に普及して以降も蓍の代表的産地であった筑波山では之を用いる易占の遺風が見られたらしいことが分るが、その伝統を復興させることは最早叶わぬらしい。
この時は車で回れる範囲を散策したのみで、ケーブルカーで山頂まで上がってみるということはしなかったのだが、山の中はかなり暗くて、ノコギリソウにせよメドハギにせよ、一本も見つけることが出来なかった。
昔は有名だった筑波の当帰等もとっくの昔に絶産になっていて、江戸時代の記述を頼りに探すということの困難は承知していたが、或いは環境が相当変わっているのかもしれない。
ところが、今年に入って奈良場博士より、『筑波山名跡誌』を手掛かりに当時の蓍産地を突き止めた人の居ることを教えられた。
記事によると、当時、亀之岳(かめがおか)と呼ばれた場所がそうらしい。
丹波亀山にしてもそうだが、「亀」絡みの地名が上質の蓍を産する場所とされた所以で、実に他愛のない話と言う他ないようだ。
7月7日の夜、刈ったメドギを晒したという夫女石は現存するとのことだが、肝心の亀之岳は現在つくばねカントリークラブというゴルフ場になってしまっていて、どうやらかつての蓍産地は消滅してしまったもののようである。
屋代弘賢(1758~1841)の『古今要覧稿』には「今も筑波山にては此莖を採て筮となし別に易書を添て旅人の乞へるものあればあたふるよし蓋し古の遺法なるべし」とあって、同書は幕命により文政四年(1821)に編纂が開始された書物であるから、筮竹が爆発的に普及して以降も蓍の代表的産地であった筑波山では之を用いる易占の遺風が見られたらしいことが分るが、その伝統を復興させることは最早叶わぬらしい。
スポンサーサイト