公田連太郎先生
- 2014/04/16
- 19:42
『易経講話』の著者・公田連太郎先生は、 明治7年に島根県出雲市古志町に生まれ、幼少より漢籍に親しまれて、21歳で上京し、晩年の根本通明先生(1822~1906)に十年に渡って師事された。
また、同時期に山岡鉄舟の師である南隠禅師に参禅されている。
『禅骨の人々』辻雙明著は、禅僧であった著者が、かつて交流した人々との想い出を抒情的な筆致で綴った回想録で、全体の三分の一ほどを公田先生のエピソードが占めている。
紹介されている語録の一つ一つが味わい深く、是非多くの方に読んで頂きたい書物だ。
幸田露伴や泉鏡花ら著名な文学者と親交があり、鏡花の小説『悪獣篇』に出てくる老学者は、公田先生がモデルであるという。
お若い頃は英独仏語も勉強され、語学に非常に明るかったことなど一般に知られていないエピソードも多く知ることが出来る。
なお、広瀬宏道先生は一度だけであるが、最晩年の公田先生を訪問されたことがあるという。
「故人で、先生が教えを受けたいような人というと、どのような先学が浮かびますか?」という私の問いに、広瀬先生はすかさず公田連太郎の名を挙げられた。
蒼流庵主人が直接に接した易学分野の人の中で、最高峰というしかない広瀬先生ほどの碩学が、迷わずその名を挙げる公田先生は、私のような者には推し量れない大学者であられたのだろうと思う。
また、同時期に山岡鉄舟の師である南隠禅師に参禅されている。
『禅骨の人々』辻雙明著は、禅僧であった著者が、かつて交流した人々との想い出を抒情的な筆致で綴った回想録で、全体の三分の一ほどを公田先生のエピソードが占めている。
紹介されている語録の一つ一つが味わい深く、是非多くの方に読んで頂きたい書物だ。
幸田露伴や泉鏡花ら著名な文学者と親交があり、鏡花の小説『悪獣篇』に出てくる老学者は、公田先生がモデルであるという。
お若い頃は英独仏語も勉強され、語学に非常に明るかったことなど一般に知られていないエピソードも多く知ることが出来る。
なお、広瀬宏道先生は一度だけであるが、最晩年の公田先生を訪問されたことがあるという。
「故人で、先生が教えを受けたいような人というと、どのような先学が浮かびますか?」という私の問いに、広瀬先生はすかさず公田連太郎の名を挙げられた。
蒼流庵主人が直接に接した易学分野の人の中で、最高峰というしかない広瀬先生ほどの碩学が、迷わずその名を挙げる公田先生は、私のような者には推し量れない大学者であられたのだろうと思う。
スポンサーサイト