根本通明の墓
- 2014/04/21
- 18:00
根本通明墓(秋田市・昌東院)
明治39年(1906年)、通明は肝臓病を患ったが、大の医者嫌いである為、「自分はどこも悪くない」と言い張って、治療を頑なに拒んだ。
そこで、医者が一計を案じて、無病であることを強調して、病院での休養という名目で丸めこんで、とうとう東大青山内科に入院させることに成功する。
しかし、病状は思わしくなく、ついに10月3日に危篤となり、八十五年の生涯を閉じた。
5日、浅草橋場(現在の台東区橋場)の総泉寺に葬られた。
法号「本覚院天性自明居士」
総泉寺は、大正12年の関東大震災で罹災したため、昭和3年に現在の板橋区小豆沢に移転し、通明の墓所も移されたが、最近になって、遠方ゆえの墓参の不便を理由に、御子孫が墓所を秋田市上新城の昌東院に移された。
JR土崎駅が最寄りであるが、地図で見る限り、徒歩で行ける距離ではなかった為、タクシーで墓所まで向かったが、メーターと睨めっこしながら、どんどん上がっていく運賃に血の気が引いた2012年夏の想い出である。
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