抜き書き『羽嶽根本通明・伝』
- 2014/04/24
- 22:12
日本人が、漢文を訓読していることを知った何如璋(清国公使)が、
「古文の本当の意義は、音読でなければ分かるものではない。
それを訓読しているから、日本人は漢文の正しい意義を誤ってしまうのだ。
音読すれば、その口調の中から本当の意義が含味出来るようになる」
と説いた。
そしてこの説に賛成した日本人学者がたくさんいた。
しかし、通明は、この説に強く反対した。
「支那(中国)は革命の度に国が変わって来た。
そこで音も、国名や時代の移り変わりと共に変化して来ている。
そのため音は、もともとの意義を正しく伝えておらない。
それよりむしろ日本には、正しい訓詁が伝わっているから、訓読した方が漢文の正しい意義を理解し易いのだ」
と反論した。
ところが、この通明の説は通らなかった。
そして斯文黌の中に支那語学科が併置されることになって、音読による支那語の講義が始められた。
それから三年後、支那語を勉強して来た学生達に論語を読ませたところ、読みは全部出来た。
しかし、その意義は、正しく解釈することが出来なかった。
この事実から人々は、あらためて通明の卓見の素晴らしさに敬服させられた。(244頁)

にほんブログ村
ブログランキングに参加しています。
↑ のバナーを1日1クリックお願い致します。
「古文の本当の意義は、音読でなければ分かるものではない。
それを訓読しているから、日本人は漢文の正しい意義を誤ってしまうのだ。
音読すれば、その口調の中から本当の意義が含味出来るようになる」
と説いた。
そしてこの説に賛成した日本人学者がたくさんいた。
しかし、通明は、この説に強く反対した。
「支那(中国)は革命の度に国が変わって来た。
そこで音も、国名や時代の移り変わりと共に変化して来ている。
そのため音は、もともとの意義を正しく伝えておらない。
それよりむしろ日本には、正しい訓詁が伝わっているから、訓読した方が漢文の正しい意義を理解し易いのだ」
と反論した。
ところが、この通明の説は通らなかった。
そして斯文黌の中に支那語学科が併置されることになって、音読による支那語の講義が始められた。
それから三年後、支那語を勉強して来た学生達に論語を読ませたところ、読みは全部出来た。
しかし、その意義は、正しく解釈することが出来なかった。
この事実から人々は、あらためて通明の卓見の素晴らしさに敬服させられた。(244頁)

にほんブログ村
ブログランキングに参加しています。
↑ のバナーを1日1クリックお願い致します。
スポンサーサイト