秋田の易学
- 2014/04/28
- 18:54
俗界の人々にとって、秋田といえば、色白美人ときりたんぽくらいのイメージしか頭に浮かばないのだが、秋田は易学に関わりの深い大学者を大勢輩出した県だ。
これは特に易学に限ったものではなく、漢学と言い換えても良いように思うのだけれど(易経は五経の筆頭であるから、漢学に強い場所では俄然易学も盛んになる訳だ)、東北六県の中でも秋田は、際立って優れたユニークな人材を輩出しているのである。
易経および其処から派生した東洋思想について徹底的に批判した安藤昌益(1703~1762)も秋田の人であるし、国学者として有名な平田篤胤(1776~1843)は、筮法にも独自の説を打ち立てており、『三易由来記』という書物も書いている。
狩野亨吉(1865~1942)は、安藤昌益の発見者であり、竹内文書の批判や春画のコレクションでも知られた学者であるが、「亨吉」の名そのものが易の気配を濃厚に漂わせていて面白い。
狩野亨吉は、明治39年(1906) に京都帝国大学文科大学初代学長に就任しており、これは現在の文学部長に相当するポストらしいが、京大の文学部はその後我が国東洋学の総本山となって、多くの優れた学者を輩出していくことになる。
京大東洋学の黎明期から指導に当たり、白鳥庫吉(1865~1942)と並んで戦前を代表する東洋学者であった内藤湖南(1866~1934)も秋田出身で、狩野亨吉の推薦によって文学博士となっている。
老子研究の第一人者・武内義雄(1886~1966)、中国制度史の世界的大家・宮﨑市定(1901~1995)、中国文学や書誌学、書道史に至るまで日本の中国学者でこれほど広範囲に業績を残した人はいないとされている神田喜一郎(1897~1984)といった人々は、湖南の謦咳に接した教え子のほんの一部に過ぎない。
秋田の中で、特に易学に限って言えば、やはり根本通明(1822~1906)ということになるが、その次の世代にも長井金風(1868~1926)というユニークな学者がいる。
金風は、先に紹介した『羽嶽根本通明・伝』の出版元である秋田魁新報社の編集人で、秋田魁新報の「発刊ノ辞」は金風の筆になり、「秋田魁新報」の命名者も金風との説がある。
金風の易説は、易経を殷周革命の際の大ロマンを描いたものと見る説で、現在、八幡書店から『周易物語・易学童問』が復刻されている。
内藤湖南もその学殖を認め、上海の商務書院から出た易の本を贈られた時、「東京の大学であれほど書ける人はいないだろう」と語ったという。
金風の娘婿は俳優の村上冬樹(1911~2007)で、黒澤明の「生きる」(1952)や周防正行の「シコふんじゃった」(1992)などに出演した他(全体としては特撮ものに多く出演したようだ)、最晩年にはファミリーマートのCMにも出ているので、ご記憶の方も多いかもしれない。
これは特に易学に限ったものではなく、漢学と言い換えても良いように思うのだけれど(易経は五経の筆頭であるから、漢学に強い場所では俄然易学も盛んになる訳だ)、東北六県の中でも秋田は、際立って優れたユニークな人材を輩出しているのである。
易経および其処から派生した東洋思想について徹底的に批判した安藤昌益(1703~1762)も秋田の人であるし、国学者として有名な平田篤胤(1776~1843)は、筮法にも独自の説を打ち立てており、『三易由来記』という書物も書いている。
狩野亨吉(1865~1942)は、安藤昌益の発見者であり、竹内文書の批判や春画のコレクションでも知られた学者であるが、「亨吉」の名そのものが易の気配を濃厚に漂わせていて面白い。
狩野亨吉は、明治39年(1906) に京都帝国大学文科大学初代学長に就任しており、これは現在の文学部長に相当するポストらしいが、京大の文学部はその後我が国東洋学の総本山となって、多くの優れた学者を輩出していくことになる。
京大東洋学の黎明期から指導に当たり、白鳥庫吉(1865~1942)と並んで戦前を代表する東洋学者であった内藤湖南(1866~1934)も秋田出身で、狩野亨吉の推薦によって文学博士となっている。
老子研究の第一人者・武内義雄(1886~1966)、中国制度史の世界的大家・宮﨑市定(1901~1995)、中国文学や書誌学、書道史に至るまで日本の中国学者でこれほど広範囲に業績を残した人はいないとされている神田喜一郎(1897~1984)といった人々は、湖南の謦咳に接した教え子のほんの一部に過ぎない。
秋田の中で、特に易学に限って言えば、やはり根本通明(1822~1906)ということになるが、その次の世代にも長井金風(1868~1926)というユニークな学者がいる。
金風は、先に紹介した『羽嶽根本通明・伝』の出版元である秋田魁新報社の編集人で、秋田魁新報の「発刊ノ辞」は金風の筆になり、「秋田魁新報」の命名者も金風との説がある。
金風の易説は、易経を殷周革命の際の大ロマンを描いたものと見る説で、現在、八幡書店から『周易物語・易学童問』が復刻されている。
内藤湖南もその学殖を認め、上海の商務書院から出た易の本を贈られた時、「東京の大学であれほど書ける人はいないだろう」と語ったという。
金風の娘婿は俳優の村上冬樹(1911~2007)で、黒澤明の「生きる」(1952)や周防正行の「シコふんじゃった」(1992)などに出演した他(全体としては特撮ものに多く出演したようだ)、最晩年にはファミリーマートのCMにも出ているので、ご記憶の方も多いかもしれない。
長井金風墓(富士霊園/静岡県駿東郡小山町大御神888−2)
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