コメント
No title
東洋書院は仁田丸久の著作といいここ十年で素晴らしいというか、痛いところを突くラインアップですね。トウハシンセイについては以前原さんでオリジナルを見かけた気がしますが、同書院で再刊されていたのは知りませんでした。有難うございます。
しかし仁田は自身の講義録は他人に譲らないようにと釘を刺したようですが、この辺りどうなっているのでしょう。
刀巴心青で思い出したのですが、河鍋魯安の春易六十四卦は刊行時に購入しようと思っていましたがあれよと言う間に消えてしまい、その後古書店でもなかなか出ず入手出来ていません。河鍋は平澤流を標榜していますがこのあたりのことについてもしご存知でしたら。質問ばかりで申し訳ございません。
しかし仁田は自身の講義録は他人に譲らないようにと釘を刺したようですが、この辺りどうなっているのでしょう。
刀巴心青で思い出したのですが、河鍋魯安の春易六十四卦は刊行時に購入しようと思っていましたがあれよと言う間に消えてしまい、その後古書店でもなかなか出ず入手出来ていません。河鍋は平澤流を標榜していますがこのあたりのことについてもしご存知でしたら。質問ばかりで申し訳ございません。
Re: No title
ohalicoさま
> 東洋書院は仁田丸久の著作といいここ十年で素晴らしいというか、痛いところを突くラインアップですね。
ラインナップもそうですが、紙質や値段もまずまず満足の行くもので、その辺りも嬉しいですね。
部数はどれも300部程度しか刷らないそうですので、さして利益が出るものとも思えませんが、この調子で色々と復刊して欲しいところです。
> しかし仁田は自身の講義録は他人に譲らないようにと釘を刺したようですが、この辺りどうなっているのでしょう。
噂話と同じで釘を刺すほど逆効果なのかもしれませんね。
> 刀巴心青で思い出したのですが、河鍋魯安の春易六十四卦は刊行時に購入しようと思っていましたがあれよと言う間に消えてしまい、その後古書店でもなかなか出ず入手出来ていません。河鍋は平澤流を標榜していますがこのあたりのことについてもしご存知でしたら。質問ばかりで申し訳ございません。
『春易六十四卦』は読んだことがないのでよく解りません。
江戸時代の易占については奈良場勝先生の優れた御研究によって、私の中では興味を無くしてしまった分野ですので、今はすっかり研究熱も冷めてしまっています・・・
> 東洋書院は仁田丸久の著作といいここ十年で素晴らしいというか、痛いところを突くラインアップですね。
ラインナップもそうですが、紙質や値段もまずまず満足の行くもので、その辺りも嬉しいですね。
部数はどれも300部程度しか刷らないそうですので、さして利益が出るものとも思えませんが、この調子で色々と復刊して欲しいところです。
> しかし仁田は自身の講義録は他人に譲らないようにと釘を刺したようですが、この辺りどうなっているのでしょう。
噂話と同じで釘を刺すほど逆効果なのかもしれませんね。
> 刀巴心青で思い出したのですが、河鍋魯安の春易六十四卦は刊行時に購入しようと思っていましたがあれよと言う間に消えてしまい、その後古書店でもなかなか出ず入手出来ていません。河鍋は平澤流を標榜していますがこのあたりのことについてもしご存知でしたら。質問ばかりで申し訳ございません。
『春易六十四卦』は読んだことがないのでよく解りません。
江戸時代の易占については奈良場勝先生の優れた御研究によって、私の中では興味を無くしてしまった分野ですので、今はすっかり研究熱も冷めてしまっています・・・
No title
蒼流庵主人様
ご返事有難うございました。
>噂話と同じで釘を刺すほど逆効果
確かにその通りですね。
仁田の釘は譲るな、ではなくて譲るときは入手価格の三倍にせよ、だったかも知れません。
かくして古書価が異常になって、以前神保町で「星占いセミナー」に150万の値がついていたのを見たことがあります。
河鍋魯安は詳しいことはよくわかりませんが、大熊光山や易林の岩谷赤丸に師事し、田島喜八に平澤流の皆伝を受けているようです。田島は水天宮の先生、喜八堂ですね。明治39年生ですから中村文聡と同い年ですが、平成に入ってからお亡くなりになった最近の人です。
それではお騒がせしてしまい申し訳ございませんでした。
また記事を楽しみにしております。
ご返事有難うございました。
>噂話と同じで釘を刺すほど逆効果
確かにその通りですね。
仁田の釘は譲るな、ではなくて譲るときは入手価格の三倍にせよ、だったかも知れません。
かくして古書価が異常になって、以前神保町で「星占いセミナー」に150万の値がついていたのを見たことがあります。
河鍋魯安は詳しいことはよくわかりませんが、大熊光山や易林の岩谷赤丸に師事し、田島喜八に平澤流の皆伝を受けているようです。田島は水天宮の先生、喜八堂ですね。明治39年生ですから中村文聡と同い年ですが、平成に入ってからお亡くなりになった最近の人です。
それではお騒がせしてしまい申し訳ございませんでした。
また記事を楽しみにしております。