伊藤東涯~京都易儒墓参録~
- 2014/05/06
- 23:50
伊藤東涯墓所(京都・二尊院)
伊藤東涯(1670~1736)は、古義学を提唱した伊藤仁斎(1627~1705)の長男で、二代目として古義堂を継承した儒者である。
寛文10年に生まれ、名は長胤、字は原蔵・源蔵・元蔵、東涯の他に慥々齋とも号し、諡は紹述先生。
母は尾形氏で、尾形光琳・乾山の従姉に当たる。
生涯仕官せず、父である仁斎の学問を祖述することに努め、仁斎の著述のほとんどは東涯によって刊行されたもの。
古義学には、あまり易経を連想させる学風がないように思うが、東涯の著『周易経翼通解』は、日本人の手になる易経註解としては、義理易の分野で最も高く評価されているものの一つであり、公田連太郎先生が『易経講話』で引用されている日本人の註としては並木栗水(1829~1914)の註に次いで多いし、老子研究の最高峰として『老子原始』などの著述で知られる武内義雄先生(1886~1966年。内藤湖南が自らの後継者と考えていた碩学で、金谷治博士の師)も最善のものと考えておられたようだ。
本書の復刻は、1915年に富山房から出版された『漢文大系』第十六巻に収められている(1976年に復刊)。
墓所は京都嵯峨野の小倉山二尊院にあり、伊藤家墓所に隣接して『一本堂薬選』などで有名な仁斎門下の儒医・香川修庵(1683~1755)の墓所がある。
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