渋井太室~大阪易儒墓参録~
- 2014/05/24
- 11:24
渋井太室墓(玄徳禅寺・茨木市南春日丘)
渋井太室(1720~1788)は、享保5年に下総佐倉に生まれ、名は孝徳、字は子章、通称は平左衛門といい、太室と号した。
父の渋井重之は林大学頭信篤(1644~1732)に、兄の長賢は足利侯に仕える。
14歳で江戸に出て、林家に入門し、塾長であった井上蘭台(1705~1761)に師事。
24歳で佐倉藩主堀田正亮(1712~1761)に仕えて藩政を助け、滝鶴台(1709~1773)・秋山玉山(1702~1764)・細井平洲(1728~1801)・南宮大湫(1728~1778)らと交わる。
宝暦3年(1753)、佐倉藩江戸藩邸の聖堂建立に今井崑山 (1717~1777)と協力、佐倉藩の文教に携わった。
天明7年(1787)、世子正順(1745~1805)が大坂城代になると老職として随伴し、その地で没した。
門人に林述斎(1768~1841)らが居り、上杉鷹山(1751~1822)にも大きな影響を与えたという。
易書には
『易伝私解』
がある。
大阪で没した為、天王寺区の生国魂神社近くの玄徳禅寺に葬られた。
同寺は昭和48年に移転し、現在は万博公園の北側、茨木市南春日丘にある。
渋井太室顕彰碑(長泉寺・ 東京都文京区本郷5丁目)
埼玉県羽生市名の不動院には、太室の供養塔があり、東京の長泉寺には、立派な顕彰碑が現存している。
スポンサーサイト