いわゆる岳門の弊風について
- 2013/11/02
- 15:39
加藤大岳氏といえば、“昭和の易聖”と称される易占の大家であり、維新以後前近代的な遺物と蔑視されていた易に近代化の光を当て、「現代易」とも呼ばれる体系を完成させ、昭和の易学界を牽引した其の功績は測り知れないものがある。
蒼流庵主人は、大岳流の系譜に連なるものではないが、紀元書房刊行の著述は勿論、雑誌掲載の記事に到るまで加藤大岳の名が刻まれた文章のほとんどに目を通してきたから、その影響を多分に被っていることは否定出来ない。
しかし、今、その門下の方々や、はたまた其の弟子、つまり大岳先生から見れば孫弟子や曾孫弟子にあたる人々の少なからぬ言説からは、非常に不快指数の高い「大岳易こそ真の易であり、それ以外は学ぶに値せぬもの」「真に価値のある易占は大岳易のみ」と言わんばかりのものが感じられるのも否定できない。
「誰それから習った」「誰それの系譜」などいう言い回しは、それ以外に依るべきところのない、文字通り低レベルの人間の常套句であり、その心や真価を受け継いでいるや否やのみが本来問題にされるべき唯一のものであることは当然であろう。
大岳易の大岳易たる所以は、その近代精神と合理主義のそれであり、大岳先生から直接習ったかどうかとか、その系譜に在るかどうか等とは全く無関係のものであると私は考える。
あくまでも理性的であろうと努めた大岳易にとって、その系譜に連なる人々の「我こそは」発言は、全く真逆の傾向性を持っているといえるのではないか。
「大岳易には秘伝があり、一部の高弟にのみ伝えられた」などというに到っては、笑止の到りで、従来“秘伝”とされてきたものを取り去って、その中から普遍性を追求した大岳易にしてみれば、そのような人間を輩出することは、恥に等しいものがあろう。
大岳先生の業績はあまりに偉大であり、直接その謦咳に接した直門の先生方にとって、師への尊崇の念は我々門外漢のそれとは比較にならぬものがあろうし、師伝を次代に継承せしめんとする想いの強さと責任感が、ときに先走って、上から目線のものとなることもあるには違いない。
しかし、大岳先生が如何に偉かったにせよ、それは自分自身の偉さではないことを折に触れ自覚するべきであると思う。
今から見れば真勢中州や新井白蛾、平澤随貞といった人たちの易学は随分我田引水でこじつけとしかいいようのないものもあるし、その占法が今日どれほどの価値を持っているのか疑わしい部分は少なくない。
しかし、それら他流の易学があったからこそ、その全ての成果を摂取して、その上に大岳易が築かれていることを忘れてはいけないだろう。
このままでは「大岳易」や「岳易」「岳門」などと冠していても、内実の伴わぬ、ニセ高島における高島の姓と何ら変わらぬ権威付けでしかないものになり下がる恐れなしと私は感じる、否すでにこのままではそうならざるを得ないのではないかと思われる。
今、少なからぬ大岳系統の易者が「大岳先生の直系」であるとか「大岳易を正しく受け継いだ」、「大岳易の正統」などと称しているが、そもそも当の加藤大岳先生が他界した現在、そんなものは証明しようもない話であり、私の思うところ、恐山のイタコに大岳先生の霊を口寄せしてもらったとしたら、その大半が「破門!」と一喝されるのではあるまいか。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とはよく言ったもので、実がないから虚勢を張るのが人間というものである。
このような弊風を他山の石として精進したいものである。
スポンサーサイト