蒔田雁門~大阪易儒墓参録~
- 2014/05/25
- 12:46
蒔田雁門墓(萩の寺・豊中市南桜塚)
蒔田雁門(??~1850)は、名は貞・忠貞、字は元茂、号を雁門・鳳斎・高向山人といった。
越前福井の人で、坂井郡高柳村代官を務め、福井藩に仕え、のち大阪で私塾を開く。
晩年は福井に戻り、韻学・経学を教授した。
音律にも詳しく、京都の光崎検校と親交があった。
易書に
『易説』
『周易通』
がある。
墓所がある東光院萩の寺は、行基開創による曹洞宗別格地寺院で、境内に萩が多いことから、通称「萩の寺」として親しまれ、「南の四天王寺、北の東光院」と並び称された古刹であり、かつては梅田近くの中津に在ったが、大正3年に阪急電車敷設により移転し、現在は豊中市に在る。
未参であるが福井の光明寺にも墓所があるらしく、晩年福井に帰っていることから考えると、大阪の方は供養塔かもしれない。
秘仏あごなし地蔵
同寺には、あごなし地蔵と称する気になる秘仏がある。
もと「阿古直し」がなまって「あごなし」になったものといい、明治2年に廃仏毀釈の難を逃れて、隠岐島の伴桂寺から移されたものだそうだ。
歯の病気を治すご利益があるというので、気になる人はお参りされると良かろう。
EPP(歯周ポケット測定検査)数値の半分が2を誇る蒼流庵主人には御縁が無さそうだ。
魯山人観音
同寺は、北大路魯山人(1883~1959)に縁がある。
魯山人が顧問兼料理長を務めた東京赤坂の高級料亭「星岡茶寮」が、昭和10年に大阪店を新設した際、隣接する萩の寺に、魯山人は自ら星岡窯で制作した白衣観音像を奉納して、大阪店の繁盛を祈願した。
平成17年に、「愛・地球博」の開催を記念して、魯山人の白衣観音像を愛知県産の小呂青石で等身大に模刻して、戦時中、萩の花を命懸けで守った先人達の気概を、環境保全の先駆者として顕彰したということになっているが、環境保全と魯山人にどれほどの関連性があるのか、蒼流庵主人にはよく解らない。
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