五井蘭洲~懐徳堂史跡あれこれ~
- 2014/05/29
- 18:18
五井蘭洲墓(実相寺・大阪市天王寺区上本町)
二代目学主中井甃庵(1693~1758)とともに、初期懐徳堂を支えた五井蘭洲(1697~1762)は、元禄10年に朱子学者五井持軒(1641~1721)の次男として大阪で生まれ、名は純禎、字は子祥、通称は藤九郎といい、蘭洲・冽庵・梅塢と号した。
貧窮のため尼崎、信濃などに流寓し、正徳2年(1712)帰阪。
中井甃庵 と親交があり、享保11年(1726)に懐徳堂の助教に招かれる。
翌年江戸に赴き、享保16年(1731)には津軽藩に招かれて儒官となるが、元文4年(1739)に致仕して懐徳堂に復した。
門人に中井竹山(1730~1804)・中井履軒(1732~1817)らが居る。
易書には、
『易学啓蒙講義』
『易経紀聞』
『易経程伝紀聞』
『易四伝講義』
『易本義紀聞』
などがある。
五井家の墓所は天満の九品寺であり、父の五井持軒もここに眠っているが、手狭のため、蘭洲は天王寺区上本町の実相寺に葬られた。
五井持軒墓(九品寺・大阪市北区同心1丁目)
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