井上蘭台~東京易儒墓参録~
- 2014/06/16
- 18:02
井上蘭台墓(谷中霊園・甲10号2側)
井上蘭台(1705~1761)は、宝永2年に、六代将軍徳川家宣(1662~1712)の侍医井上玄存の三男として生まれ、名は通煕、字は叔・子叔、通称は嘉膳といい、璠菴・蘭台・玩世教主と号した。
享保10年(1725)、天野曾原(1678~1748)に入門、更に同12年には昌平黌に入って林鳳岡(1645~1732)の門弟となり、同14年に林家員長となった。
元文5年(1740)、岡山藩儒となったが、岡山へは一度下ったのみで、生涯を江戸で過ごし、折衷学の基礎を築いて、井上金峨(1732~1784)や渋井太室(1720~1788)らを育てた。
生涯にわたり女性を遠ざけて妻帯せず、死の間際に武蔵の戸口氏より養子を迎え、これが井上四明(1730~1819)である。
易書には
『周易古註』
がある。
墓所は、もと下落合の泰雲寺にあったが、同寺は明治44年(1911)に廃寺となり、井上家の墓所は、谷中霊園に移葬された。
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