大橋訥庵~東京易儒墓参録~
- 2014/06/20
- 18:04
大橋訥庵墓(谷中天王寺墓地)
大橋訥庵(1816~1862)は、文化13年に兵学者清水赤城(1766~1848)の三男として江戸飯田町に生まれ、名は正順、字は周道、通称は順蔵といい、訥庵・曲洲・承天・屠竜居士・順周と号した。
文政12年(1829)、信濃飯山藩士の酒井義重の養子となる。
天保6年(1835)、佐藤一斎(1772~1859)に入門。
故あって養家を離れ、天保12年(1841)に江戸の豪商大橋淡雅(1788~1853)の婿養子となって大橋姓を名乗るようになり、江戸は日本橋に思誠塾を開く。
訥庵による指導は好評で、嘉永3年(1850)には宇都宮藩主戸田忠温(1804~1851)の招きにより、月一回江戸藩邸において儒学を教授した。
尊王攘夷の志が篤く、王政復古を企てたが、文久2年(1862)、坂下門の事件を画策したかどで投獄され、同年7月、出獄直後に病死した。
易書には、
『易学図』
『周易私断』
がある。
門人に並木栗水(1829~1914)がいる。
スポンサーサイト