太宰春台~東京易儒墓参録~
- 2014/06/22
- 11:03
太宰春台墓(天眼寺・台東区谷中1-2-14)
太宰春台(1680~1747)は、延宝8年に信濃国飯田城下で生まれ、名は純、字は徳夫、通称は弥右衛門といい、春台・紫芝園と号した。
飯田藩士だった父が浪人したため江戸に出、元禄7年(1694)、但馬出石藩に仕え小姓頭となったが、同13年、藩主の許しなく退仕したため、十年間の他家への出仕禁止の処分を受ける。
以降、京阪を放浪しながら苦学し、京都では伊藤仁斎(1627~1705)の講義を聴く。
正徳元年(1711)、32歳で自由の身になり、江戸に戻って、同3年、友人の紹介で荻生徂徠(1666~1728)の門に入り、徂徠学を修めた。
正徳2年(1712)に下総生実藩に出仕するも、3年後に致仕し、以後生涯仕官せず、江戸の小石川に紫芝園を開いて多くの門人を集め、諸侯の扶持を受けた。
『経済録』『経済録拾遺』などの著述があり、日本に『経済』という語を広めたのは春台である。
易書には、
『易占要略』
『易道撥乱』
『周易反正』
などがある。
スポンサーサイト