山中天水~東京易儒墓参録~
- 2014/06/28
- 17:26
山中天水墓(行安寺・台東区松が谷1丁目9−14)
山中天水(1758~1790)は、宝暦8年に伊勢の農家に生まれ、名は久宣・恕之、字は宣卿、通称は猶平といい、天水・鈴山・晴霞亭と号した。
初め京都に遊学し、次いで江戸に出て山本北山(1752~1812)の門に入り、古文辞学派の修辞を排撃した。
25歳で日本橋に私塾晴霞亭を開いた。
易書には、
『周易考証』
『周易発薀』
がある。
墓所は浅草の行安寺にあるが、関東大震災で倒壊し、原型を留めない無残な姿となっている。
昭和46年には、ご子孫によって顕彰碑が建立されたが、血縁も途絶えてしまったのか、現在は無縁墓となってしまっているようだ。
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