朝川善庵~東京易儒墓参録~
- 2014/06/29
- 12:32
朝川善庵墓(常泉寺・墨田区向島3-12-15)
朝川善庵(1781~1849)は、天明元年に片山兼山(1730~1782)の三男として生まれ、名は鼎、字は五鼎といい、善庵・学古塾と号した。
兼山が中年にして没し、母が再婚した医師・朝川黙翁(?~1814)に養われる。
初め養父に就き、12歳で山本北山(1752~1812)の奚疑塾に入門。
文化11年(1814)に養父の死の床に呼ばれ、自分が片山兼山の実子であると明かされ、本姓に復するよう遺言されたが、今までの撫育の恩に報いるため終生「朝川」の姓を名乗った。
博学で経義に詳らかなること全国にその名を知られ、平戸藩主・松浦氏を初めとして津藩主・藤堂氏や大村藩主・大村氏などの大名が門人となり、江戸では本所に私塾を開いて佐藤一斎(1772~1859)に並ぶ名声を得た。
弘化3年(1846)に学問上の業績が幕府から表彰され、十二代将軍・徳川家慶(1793~1853)に謁見を賜った。
易書には、
『易説家伝紀聞』
『周易愚説』
がある。
墓所は、向島の常泉寺にあり、東京都の史跡指定を受けているが、現在は片山家朝川家の合葬墓となっている。
同寺には、漢方の開祖である張仲景の顕彰碑も現存しており、私にはむしろこちらのほうが感動的であった。
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