倉成竜渚~東京易儒墓参録~
- 2014/07/16
- 18:35
倉成竜渚墓(清光院・品川区南品川4丁目2−35)
倉成竜渚(1748~1813)は、寛延元年に豊前国上田村の農家に生まれ、名は茎、字は善卿、通称は善治・善司といい、竜渚と号した。
明和2年(1765)、中津藩儒藤田敬所(1698~1776)に師事し、さらに京都の伊藤東所(1730~1804)の門に入る。
同8年(1771)、中津藩に仕え、のち藩儒、世子侍読となり、寛政2年(1790)藩校進脩館創立に参画した。
“竜渚”の号は、藩主奥平昌高(1781~1855)の命名である。
教育の傍ら遊山を好み、細井平洲(1728~1801)・樺島石梁(1754~1828)・頼杏坪(1756~1834)ら多くの文人と交わった。
易書に
『周易守翼』
がある。
品川の清光院に墓碑は現存するが、剥落が進み、“竜渚”の銘はもう読めない。
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